藤津亮太のテレビとアニメの時代 第16回 “冬の時代”のその後……

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第16回 “冬の時代”のその後…… 今回とりあげるのは’87年秋から’90年春への変化である。歴史的に見てプライムタイムの19時台に積極的にアニメを編成してきたフジテレビとテレビ朝日の数字の変化が興味深い。フジテレビが6本から4本にまで減ったのは『北斗の拳2』『魁!男塾』の後番組がアニメではなくなり

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第15回 “アニメ冬の時代”へ

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第15回 “アニメ冬の時代”へ 前回に続き’84年秋から’87年秋までの民放におけるアニメ番組の状況を表にまとめてみた。
 前回、ハイターゲット作品の比率が’83年にピークとなり、’84年にその数が減っているという状況を確認した。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第14回 アニメブームの頂点は’83年

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第14回 アニメブームの頂点は’83年 ’80年初頭のTVアニメはどのような状況にあったか。’81年から’82年にかけてハイターゲット作品が倍増し、それによって「原作付き・プライムタイム」/「オリジナル・夕方」というある種の住み分けが明確になった。前々回と前回まではそのことを具体的に番組表を見ながら確認した。今回はその後、どのように状況が推移していったかを見てみたいと思う。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第12回 前回の訂正と、ハイターゲットアニメの増加

今回はまず ’80年代に入って、どのようにハイターゲット作品が増えていったかを確認したい。
ここで問題になるのは「ハイターゲット作品」の定義だ。これには企画段階から明確に中高生をターゲットにしている作品もあれば、企画そのものはそうではなくても、作品のストーリーやキャラクターの見せ方でそうなっているものもある。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第11回 第1次アニメブームの補足ポイント

第1次アニメブームに補足したい2つのポイント 藤津亮太 今回から本連載は’80年代編に入る。’80年代に入ってからの大きなトピックは二つある。一つは’85年の第1次アニメブーム終焉。もう一つは、’80年代後半以降の再放送枠の段階的な減少である。今後は、この二つを念頭に置きながら、番組表を見ていきたいと思う。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第9回’70年代の到達点としての’79年

 ’77年夏に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開され、第1次アニメブームが到来する。
ただし、’77年秋の週間放送本数が30本と高い数字をマークしているのに対し、’78年春から’80年秋まではそれよりもやや少ない20本台半ばで推移している。とはいえ’76年春まで放送本数はそもそも20本を超えることがなかったことを考えると

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第8回アニメブームの始まり

7月5日に都内で『アニメの門 場外乱闘編』と題する小さなトークイベントを行った。第7回となる今回は「極私的アニメブーム論」というテーマ。’80年前後に盛り上がった「第1次アニメブーム」の始まりと終わりについて語り合った。
トークでまず話題にしたのは「アニメブームの始まりをどこに設定するか」ということ。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第7回 日本テレビの再放送枠

第7回 作品の掘り起こしにつながった日本テレビの再放送枠 藤津亮太 前回はNET(テレビ朝日)が、魔法少女ものをはじめ、現在放送中の作品に関連づけて夕方の再放送を編成している状況を確認した。そして、一つのシリーズの過去作が幅広い世代に「自分の世代のアニメ」として受け止められる効果と、最新作が同時に放映される状況が、視聴者に「歴史の意識」を喚起させるという状況を振り返った。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第2回 ’70年を語る前に’60年代の「第0次ブーム」について

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第2回 ’70年を語る前に’60年代の「第0次ブーム」について 藤津亮太
今回はまず前回の補足から始めよう。前回、’70年に前後して「アニメ」という言葉が、次第に浮上しきたのではないかという推察を記した。

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第1回 最初に倒れたドミノの1枚へ

藤津亮太のテレビとアニメの時代 第1回 最初に倒れたドミノの1枚へ どこから書き始めればいいだろうか。
 とりあえず、比較的最近の話題から。
 アサヒコムに連載されているコラム「アニマゲ丼」にTVアニメの現状に触れた記事が出ていた。(10月8日付け『7時にアニメ見る人を「アニメセブン」と呼ぼうか』※1)