文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情-第4回「辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』のプロモーションについて考える」

2.「文学作品」としてのプロモーション

mangaが「子供向け」という印象が強いため、出版社によっては日本産マンガであってもグラフィック・ノベル(graphic novel)と呼ぶことがあるのは以前このコラムでも書いたが、辰巳の作品もmangaというより文学性の高いグラフィック・ノベルもしくは、オルタナティブ・コミックスとして扱われている。(グラフィック・ノベルには「コミックスの単行本」という意味と「文学的なコミックス」という意味がある。)

特に『劇画漂流』ではその文学性の高さを強調するプロモーションが行われた。そのことをよく表しているのが、昨年の4月末から5月にニューヨークで開かれた「PEN World Voices Festival – International Literature」という国際シンポジウムである。このシンポジウムに辰巳は招待され、講演を行った。これはアメリカのペンクラブとも言える「PEN American Center」が主催する、世界の文学作品発展のために開かれる権威あるシンポジウムで、コミックスに限定したものではない。ピューリツァー賞を受賞したオルタナティブ・コミックス作家、アート・スピーゲルマンもかつて招待されている。

どういう経緯で辰巳が講演者として選ばれたのかは定かではないが、間違いなく出版社側の努力はあっただろう。このシンポジウム出席は、『劇画漂流』が文学的価値の高い作品であるという印象形成に大きな影響を与えた。実際、『ニューヨーク・タイムス』は、村上春樹を引き合いに出して辰巳を論じているほどだ。

つけ加えると、この渡米の際、辰巳はニューヨークでサイン会を精力的に行い、その後カナダのトロントへ飛び、オルタナティブ・コミックスのコンベンションである「Toronto Comics Arts Festival」にも参加している。ニューヨークのシンポジウムでもトロントのコンベンションでもトミーネが辰巳と同席し、場合によってはインタビューをする側となって、メディアへの露出を助けた。

そのトミーネが担当した『劇画漂流』の装丁も、文学的な作品としての売り込みに一役買った。アメリカの日本mangaファンは英語版も日本版と同じ表紙であることを望む傾向があるが、日本のmangaは子供向けというイメージの強さから、その絵柄がシリアスな内容にそぐわないと見る人も多い。トミーネの手による『劇画漂流』英語版の表紙には日本版と違ってmangaを連想させるものはほとんどなく、小説と言っても通る装丁になっている。

3.内容とジャンルに対する親和性

アメリカのオルタナティブ・コミックスでは、作家が自分自身のことを描く自伝的作品が、大きなひとつのジャンルを形成している。例えばアート・スピーゲルマンのピューリッツァー賞受賞作『マウス』、映画にもなったハービー・ピーカーの『アメリカン・スプレンダー』、“コミックス・ジャーナリズム”として知られるジョー・サッコの『パレスチナ』、その他ロバート・クラムの一連の作品など、傑作との呼び声が高い作品も多い。

辰巳自身の青春時代を描いた『劇画漂流』は、そのジャンルに上手くはまった。アメリカの読者や批評家から見ると、オルタナティブ・コミックスの出版社から出されている『劇画漂流』の内容が自伝であることはとても自然で、違和感の無いことだった。そのため自国の文化である「オルタナティブ・コミックスの中の自伝的作品というジャンル」の中に『劇画漂流』を位置づけることで、容易に作品を理解し、評価することができたのである。

それに加えて、戦後日本という一見アメリカ人読者にとって馴染みの無い設定にも関わらず、辰巳の「劇画」勃興運動は、アメリカのコミックス業界にとって実は親しみを感じるものだった。『劇画漂流』で辰巳は当時流行していたスタイルとは別のスタイルのマンガを目指し、「劇画」という名称を提唱して、マンガ界に新たなムーブメントを起こそうとしたが、同じような運動はアメリカのコミックス界でも60年代に起こっていたのである。その運動はそれまでの「コミックス(comics)」の表現上の制約を打破しようとした作家たちに支えられ、新たな名称(例えば「comix」など)も提唱された。結果的に生み出された作品は「アンダーグラウンド・コミックス」と呼ばれ、現在の「オルタナティブ・コミックス」とも歴史的に関連している。そのため新たなスタイルのマンガを模索する辰巳の心情と試みは、アメリカのコミックスに親しむ人からも理解と共感を持って迎えられたのである。しかも、『劇画漂流』は戦後日本の大衆文化史であると同時に、アメリカ大衆文化受容の様子も描いており、アメリカ人読者に親しみを持たせることに成功した(7)

これまで見てきたように、『劇画漂流』のアメリカでの成功の大きな要因として、オルタナティブ・コミックス作家トミーネが企画を立て、プロモーションに協力的だった点があることは否めない。しかしそれとは別に、個人的に大事であると思うのは、既に述べたように辰巳と『劇画漂流』が、アメリカのコミックス文化という文脈において、理解されやすい形で紹介された点にある。

その紹介とは「文学的なオルタナティブ・コミックスの名作としての『劇画漂流』」であり、その点でブレが無かったことも重要だ。例えば辰巳ヨシヒロという作家のイメージの形成も、アメリカにおける「オルタナティブ・コミックス」の文脈で行われた。例えば、若手の著名オルタナティブ・コミック作家が師と仰ぎ、ピューリッツァー賞を受賞したオルタナティブ・コミックス作家アート・スピーゲルマンのようにアメリカのペングラブで講演し、過去の数々のオルタナティブ・コミックスの名作のように、コミックスの世界に生きた自分史を描き、かつてのオルタナティブ・コミックス作家のように、コミックスの世界に新しいスタイルを提唱した、日本のオルタナティブ・コミックス作家、という具合である。

この評価軸はアメリカ独自のものであるが、そもそも日本産の作品だからと言って、アメリカでもその作品が日本と同じように評価される必要は無い。一旦アメリカで出版されたら、アメリカの文化的文脈に即した評価が行われるのが当然なのである。しかもそもそもその作品のアメリカでの紹介のされ方が日本の基準で正しくなかったとしても、それすら(商業的には)問題ではない。

この連載の初回から言っていることだが、アメリカにはアメリカ独自の大衆文化の歴史があり、コミックス文化の歴史があり、日本産mangaの受容の歴史がある。そしてアメリカ独自のmanga観があり、市場状況があり、商業的慣習もある。作品を商品として見たときに、アメリカの消費者に商品を届けたいなら、アメリカの文脈においてわかり易い形で消費者に届けることが重要だ。そうしたからと言ってすべての作品が売れるわけではないが、海外での日本産mangaの市場を考えるときに、この点を忘れてはならない、と個人的に強く思う。

7 『劇画漂流』で登場した「gekiga(劇画)」という言葉が、「日本のオルタナティブ・コミックス」という意味に解釈されたこともあって、「日本のオルタナティブ・コミックス」に対する需要も高まり、青林工藝社の『AX』の作品をまとめたアンソロジー『AX』も北米で出版された。『AX』の出版は辰巳ヨシヒロ作品の人気なくしては実現しなかっただろう。