「中国アニメ講演旅行で感じたこと」 氷川竜介

■ CGと手描きを融合させる努力

 とはいえ、中国における実際の講演では通訳を介するという事情もあるため、本番では話題を技法寄りに絞りこむことにした。そのひとつは「手描きアニメとCGとの融合」、もうひとつは「デジタルカメラによる実景の取りこみ」である。
 『イヴの時間』に登場する舞台のうち、室内は基本的に3DCGを用いて描かれている。絵コンテに基づいてカメラポジションを決めた後に、キャラクターのアタリを含めてレイアウトとして線画出力する。手描きのアニメーターがアタリに乗せてキャラを作画するのと平行し、3DCGにさまざまなレタッチを加えて背景画に仕立てていく。コンポジット時の光や影の加工含め、手による加筆を入念にすることで次第に人間味あふれる「絵」にアレンジされていく。
 ここまでは日本の一般的な商業アニメでも多く使われている技法である。しかしこの室内の3Dモデルには、それぞれベースとなった実際の部屋が存在する。物体を採寸してアニメ映像の空間内に正確に配置し直しているわけだ。メイン舞台の喫茶店内部のみ吉浦監督の創造した架空のデザインだが、そこに配置されている額縁や椅子などの調度類、あるいはコーヒーメーカーやカップなども、現実のものを引き写した3Dモデルで作画ではない。人間が視覚的に現実感を認識する手がかりの中には「大きさ」や「物体としての正確さ」「触れられそうな感覚」が大きなウエイトを占めるため、3Dの方が有利なのだ。
 さらに屋外については銀座などを中心に実景をロケハンした写真が存在し、それをアレンジして未来の風景に置き換えている。これも「そこに実在している」という雰囲気をアニメ世界にいれるために重要なのである。そこから何を消して何を足すか、その工夫がこの作品だけの「世界観」をかもし出すことになる。
 こうしたトリッキーな制作手法の目的は何かと言えば、「人間とアンドロイドに区別がつきにくくなった世界」という《非現実》を《現実》と錯覚させ、そこに物語的な逆転の驚きを宿すためだ。本作に限らず、「萌えキャラ」や「巨大ロボット」のように非現実性を売りにした作品にも類似のハイブリッド的な発想があり、それが日本のアニメ文化を特徴づけていることは、講演の中でも強調した。

広州の上空を飛行機から。これまで中国は国土が広大だから人口が多いと思いこんでいたが、どの都市も高層マンションがビッシリで過密である。

重慶のホテルの窓から見ても、隣が建設中。古いものを次々に壊して高層ビルを建てている。ただし、投機目的が多くて空き室が目立つとも聞いた。

■ 芸術と技術のハイブリッド

広州のホテル近くの歩道にあった新聞雑誌スタンド。向かって右手の棚が、漫画・アニメ・ゲーム関係でビッシリ埋まっている。

 吉浦監督の出身に話題が及んだとき、九州芸術工科大学在学中に「技術と芸術」を一体化したプロデューサー教育を受けたことが語られた。そのとき「なぜこの作品と作家に惹かれるのか」という秘密の一端が見えた気がした。
 筆者は常日頃から「アニメでなければ語れないものがある」という信念をもとに、技術系出身であることから作品を成立させる各技法に深い関心を寄せ、研究している。これもまた「芸術と技術は不可分」だと考えていることと同等だ。だから惹かれたのであれば、自分の直感もあながち的外れではないと思えて嬉しかった。以後は「CGは技術ベース、絵は芸術ベースとすると、このハイブリッド化を乗り越えようとする努力が、作品にパワーを与えている」という解説も付け加えるようにした。
 現在の中国では、過去に大量の日本製アニメ作品が入ってきて若者に受けいれられたことから、国策的に国産製のアニメーションを重要なものと位置づけ、制作拠点を急ピッチで各地に立ち上げつつあるという(※)。実際にアニメーション学科の生徒が多く集まったのも、そうした背景をふまえてのことだろう。
 実際に、日本の漫画・アニメ文化が中国には充分に浸透していることも肌で実感した。ホテル近くの町中の新聞・雑誌スタンドには日本の最新アニメ(2010年10月番組)が表紙のアニメ雑誌が並び、ウルトラマンやちびまる子が表紙の児童向け雑誌もある。中国の作家が描いた漫画雑誌を見ると、イラスト技法的にはほとんど日本と差がない。テレビで見かけた中国製アニメでも「顔にタテ線が入ってブルーな気分」「後頭部に冷や汗タラリ」などなど、日本で開発された「漫符」がごく自然なものとして使われていた。
 となれば、日中アニメ文化は技術的には差がなくなってきているのだ。手描きにせよCGにせよ、アニメの制作は圧倒的なマンパワーの消費が必要であり、その点では中国の側に分がある。事実、『イヴの時間』でも、第4話の作画は中国に発注したという。もしも技術に差がないとすれば、講演で述べたような「技術と芸術のハイブリッド」「両者をつなぐ思想」が日本にノウハウごと蓄積されてきたから、今のところは一日の長があるということなのではないか。
 何かにつけて「日本のアニメは海外で評価が高い」とよく言われる。だが「なぜそうなのか?」という理由については、日本人自身がほとんどプロファイリングできていない気がしている。筆者としては、あえて言語化するのであれば今回の講演で述べたような「技術と芸術のハイブリッド」が確実にキーになるように思う。
 今回の講演は「中国向け」という意味が中心ではあるが、その行為を通じて「海外を意識した目線で日本のアニメを見つめ直す」という意味も強く意識していた。そのひとつの結論が、ここで述べたような話なのである。
※「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」(遠藤誉・著/日経BP社)などによる。

写真いずれも[撮影:氷川竜介]

3ページ/「風景が喚起するアニメ的な感興」へ続く