藤津亮太のテレビとアニメの時代 第18回 ’80年代に起きていた変化

藤津亮太のテレビとアニメの時代 
第18回 ’80年代に起きていた変化

藤津亮太
1968年生まれ。アニメ評論家。
編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

 今回は少しTV欄から離れて、’80年代の再放送枠の変遷に影響を与えたであろう変化を取り上げたい。
 
 まず子供の数の変化を見てみよう。5歳から14歳の人口は次のように変化している。

’80年 18,991,662人
’85年 18,573,955人
’90年 15,993,342人

 ちょうど団塊ジュニア(’71年~’74年に生まれた世代)のボリュームゾーンが、中学校を卒業していく時期が’80年代後半にあたっていることがわかる。

 続いて、子供たちの夕方の時間の使い方に大きな影響を与えていると思われる、学習塾の状況。
 学習塾は1970年代にブームとなったが、それが定着するかたちで1980年代を迎える。
 学習塾の事業所数は’81年に18683カ所、’86年に34367カ所(’81年より84%増)、’91年には45856カ所(’81年より145%増)と大きな伸びを見せる。
 また文部科学省は、’76年、’85年、’93年の3回、「学校外学習活動に関する実態調査」を行っている。それによると、子供の通塾率は次のように変化している。

小学校2年生
  4.8% → 10.3%、→ 14.1%
小学5年生
  19.4% → 21.1% → 31.1%
中学2年生
  38.7% → 44.5% → 59.1%

 小学校5年生と中学2年生では、’85年から’93年にかけての変化が大きい。
 ’80年代後半、小学生・中学生の人口は減少し、同時に通塾率が上がっている。
 当時の夕方の視聴率の変遷は不明だが、子供の絶対数の減少と、(通塾のための)在宅率の低下は、夕方の再放送の視聴率と無縁だったとは思えない。

 続いて広告の観点からも’80年代を見てみたい。’80年代のテレビの広告費は次の通り。

’81年 8,389億円
’82年 9,055億円
’83年 9,620億円
’84年 10,307億円
’85年 10,633億円
’86年 10,908億円
’87年 11,745億円
’88年 13,161億円
’89年 15,000億円
’90年 16,000億円

 ’70年代から右肩あがりで推移してきたTVの広告費だが、’84年に1兆円を超え、’87年以降、さらに増加率が増えている。
 ’85年以降、TVのCMではスポットCMの比重が増してくる。
CMは特定の番組中に放送する契約になっている「タイムCM」と、時間帯を指定せず主に番組と番組の間に放送される「スポットCM」に2分される。
 現在、TV局の収入を見ると、タイムCMとスポットCMの売上げは、概ね同程度の金額となっている。かつてはタイムCMが主流だったが、’80年代後半に入ると、スポットCMの比重が増してくる。
 タイムCMの特徴は、番組内容から視聴者層が想定できるため、どのような消費者層にCMが届いているかがわかるところにある。
 一方、スポットCMは、番組との関連ではなく放送頻度で消費者層への到達を目指す。スポットCMの広告料を算出するには延べ視聴率(GRP)という数値が使われる。
 たとえば、あるCMを200GRPで放送すると受注した場合、視聴率20%の番組で10本分放送すれば、200GRPが達成されたことになる。

 アニメの場合、それも夕方の再放送となると、視聴者が子供に限定されてくる。
 タイムCMであれば、子供に限定されていることもメリットになってくるが、視聴率が高いほど効率的になるスポットCMにとっては、よほど視聴率が高くない限りメリットにならない。’80年代後半は、再放送枠であってもアニメより視聴率を得やすい番組に差し替えられるべき圧力が高まっていたのだろう。
 
 ’80年代後半に起きていたいくつかの事象を組み合わせてみると
・子供の環境変化による再放送の視聴率低下
・広告費増大を受けてTV局はスポットCMを販売できる枠を増やす必要があった
 という二つの理由により、アニメの再放送がドラマやバラエティの再放送へと差し変わっていったのではないか、と考えることができる。

次回からは’90年代のTVアニメ事情に触れたいと思う。