藤津亮太のテレビとアニメの時代 第2回 ’70年を語る前に’60年代の「第0次ブーム」について

藤津亮太のテレビとアニメの時代 
第2回 ’70年を語る前に’60年代の「第0次ブーム」について

藤津亮太
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

 
 今回はまず前回の補足から始めよう。
 前回、’70年に前後して「アニメ」という言葉が、次第に浮上しきたのではないかという推察を記した。その話題の過程で、必然的に「アニメ」という言葉の極初期の使用例に触れ、Wikipediaに、雑誌『小型映画』1965年7月号で「アニメ」の使用例があるという事例を紹介した。
 その部分の記述について、アニメ史研究家の津堅信之氏から次のような指摘をもらった。
 津堅氏によると、’62年より雑誌「映画評論」で連載されていた「動画映画の系譜」の第1回に既に「アニメ」という使用例が見られるという。筆者は、アニメ評論の大御所である森卓也。’65年の「小型映画」の記述よりも3年も前で、印刷された「アニメ」の使用例としては、現時点で確認できる範囲で、もっとも古いものの可能性がある。さらに「ここ数年来の動画の隆盛、アニメという言葉の普及たるや、年期の入った我々自身、眼をみはるものがある」と使われていることから、アニメという言葉はそれなりにポピュラーなものとして使われているとも読める。
 ’62年は『鉄腕アトム』放送(’63)よりも前。津堅氏は、ここで森が「アニメ」と呼んでいるのは、日本製商業アニメーションではもちろんなく、当時テレビで放映されていたアメリカ製アニメを含みつつ、広くアニメーション全般を指しているように読めると解説をつけてくれている。
 予想よりも古い時期に「アニメ」という言葉があることから考えるに、70年代というのは、「アニメーション」の略称としてあった「アニメ」が、現在のような「日本製商業アニメーションの代名詞」の意味へと次第に変質していく時期ととらえることができる

 話題が’60年代まで遡ってしまったので、予定を少し変更して少し古い話題から話を始めることにする。
 まず『TBS50年史』をひもとくことにする。第2章の「テレビ・ネットワークを形成し急成長」より、アニメ関連の部分を一部抜粋しながら、’60年代のTVアニメ事情を概観したいと思う。
 「マンガ映画つまりアニメーション映画は、テレビ開局当時の米国製作品が最初のものであった。TBSでは55年に『スーパーマン』、57年に『マイティ・マウス』『ヘッケルとジャッケル』、59年には『ポパイ』を登場させるなど、アメリカの人気アニメを放映して人気を集めていた」
 だが『鉄腕アトム』のヒットが状況を変える。
「TCJ(日本テレビジョン)は、63年9月から『鉄人28号』をフジテレビで開始したが、11月にTBSはこのTCJ制作の『エイトマン』の放送を開始した。(略)『エイトマン』は木曜午後6時台の大人気番組となり、アニメは確実に若年層を獲得する目玉商品として注目されることになった。
 TBSは64年に手塚治虫原作の『ビッグX』(東京ムービー)、65年に『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』とヒットアニメを連発して、テレビ局のアニメ攻勢の先頭に立つことになった。国産アニメは20%前後と視聴率も高く、それに対して外国アニメはいいところで『トムとジェリー』『ポパイ』が14%~15%であり、10%を割る作品も多かった。」
 国産アニメが次第に米国製アニメを駆逐していく様子がわかる。そして以下の記述を読む限り、TV局にとってアニメのデメリットとそれをフォローする手段も大きくは現在と違わないことがわかる。
「テレビのカラー化にともない、アニメもカラー時代に入ることになったが、テレビアニメは制作費と人件費とそして制作時間がかかることから、マーチャンダイズ(商品化権)と海外番組販売が重要な収入源として不可欠であった。その点でマーチャンダイズを念頭に置いたTBSは、オリジナル企画の『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』のヒットで利益を上げ、他局に先んじて有利な立場をとることができた」
 そして『鉄腕アトム』スタートから2年で、アニメ人気は次のステージに入ることになる。
「他局は午後6時台、午後7時台はアニメ戦争の観を呈したが、SFアニメの類似作品が氾濫するようになり、そこからの脱皮が望まれた。そんな状況で登場したのが、TBSの『オバケのQ太郎』であった」

2に続く