藤津亮太のテレビとアニメの時代 第3回 ’70年代前半、TBSとフジテレビの関係

 長々とタイトルを列挙したが、この通り、1週間に放送されるアニメのうちほぼ半数を、常にフジテレビが放送していることがわかる。
 対して、TBSは71年に3本をカウントしたものの、あとは1~2本で推移している。

 まず注目したいのは、TBSはアニメのかわりにどんな番組を編成していたか、という点だ。
 当時の番組表から拾うと、その一つはウルトラシリーズに代表される特撮番組である。70年代前半は「第2次怪獣ブーム」と呼ばれる時期に当たり、『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』(東京ではNETで放送)に人気が集まっていた。
 TBSではこの時期に『帰ってきたウルトラマン』(’71)、『ウルトラマンA』(’72)、『ウルトラマンタロウ』(’73)、『ウルトラマンレオ』(’74)を放送したほか、『シルバー仮面ジャイアント』(’71)、『アイアンキング』(’72)、『仮面ライダーストロンガー』(’75)などを放送している。平日18時からの再放送枠も特撮番組を多く放送しており、縁の深かい円谷プロダクションの作品を中心に、アニメよりも特撮寄りの姿勢をとっている。
 また一方で、TBSは19時台の30分枠で、10代向けのコメディドラマや子供向けドラマにも力を入れていた。
 コメディドラマの代表格は、アイドル岡崎友紀を主演に据えた一連の番組だ。これは’70年の『おくさまは18歳』に始まり、’74年の『ニセモノご両親』まで5番組を放送。この5番組は一つをのぞいて、火曜日19時に編成されている。
 また子供向けドラマの代表は、木曜19時30分から放送されていたケンちゃんシリーズ。この時期には『ケンちゃんトコちゃん』(’70)から『おそば屋ケンちゃん』(’75)が放送されている。’70年~’75年の木曜日20時台はTBSホームドラマの代表作ともいえる『ありがとう』を放送しており、19時台に子供向けドラマを置いて『ありがとう』へつなぐ流れを作り出そうとしていることが感じられる。
 このように’70年代のTBSは「ドラマのTBS」であることが編成の一つの軸であった。特撮番組も子供向けドラマの一つのバリエーションと大きく考えれば、これもまた「ドラマのTBS」の枠内に収まってくる。
 そして、その編成で高視聴率を得ていたために、TBSはアニメに枠を割かなかったのだ。こうやって考えると、TBS発であれほどブームとなった『オバケのQ太郎』が『新オバケのQ太郎』(’71)で日本テレビの放送になったことは、決して無関係ではないように思う。

 一方、番外地といわれるまでに視聴率に苦戦していたフジテレビは、既に見たようにアニメに多くの枠を割いていた。
 放送本数にはカウントしていないが、75年春には、その後長く続く火曜日19時からの『サザエさん』の再放送もスタート。さらに18時台では『アルプスの少女ハイジ』の再放送も行って、高視聴率をマークした2番組を徹底して活用しようとしている姿が見える。
 フジテレビはもともと開局以来、「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズに局の方針を置いていた。このフレーズがどのように出来たか、『タイムテーブルからみたフジテレビ35年史』を見ても説明をする記述はなかったが、今回振り返った大枠の状況から想像することはできる。
 おそらく「母と子のフジテレビ」は、フジテレビのニッチ戦略だったのだろう。
 ニッチ戦略とは、特定の市場に特化し、その市場の中でのシェアや収益性の維持を目指す戦略のこと。フジテレビは、かなうはずのないTBSとの勝負を避けつつ視聴者を得る手段として、「母と子」というニッチを選んだのだ。そしてその手段としてアニメが活用されることになった。
 視聴率的弱者が、ニッチ戦略としてアニメを選択する。これは後年のテレビ東京の戦略とも重なってくる。
 果たしてフジテレビが広告代理店・萬年社から持ち込まれた『鉄腕アトム』を引き受けると決めた時、後にフジテレビがここまでアニメに力を入れるということは予見されていたのであろうか。そのあたりも機会があれば取材してみたいところではある。

 ちなみに『鉄腕アトム』がフジテレビに決まった経緯についてはWEBアニメスタイルの『東映長編研究 第11回 白川大作インタビュー(4)』(http://www.style.fm/log/02_topics/top041129a.html)で触れられている。

 次回は、この時期の日本テレビとNETに目を向けてみたい。