藤津亮太のテレビとアニメの時代 第7回 日本テレビの再放送枠

第7回 作品の掘り起こしにつながった日本テレビの再放送枠

藤津亮太

 前回はNET(テレビ朝日)が、魔法少女ものをはじめ、現在放送中の作品に関連づけて夕方の再放送を編成している状況を確認した。そして、一つのシリーズの過去作が幅広い世代に「自分の世代のアニメ」として受け止められる効果と、最新作が同時に放映される状況が、視聴者に「歴史の意識」を喚起させるという状況を振り返った。

 これは再訪の持つ機能のうちのひとつ、アーカイブ性に起因する。
 TVアニメの放送開始から10年を経たことと、’80年代中盤以降の家庭用ビデオレコーダーの普及の挾間にあって、再放送がその機能を十分に発揮したのだ。
 一方、再放送の機能については、もう一つある。それは、本放送で人気の出なかった作品の掘り起こし機能だ。
この点で大いに機能したのは、日本テレビの再放送枠である。

 日本テレビの再放送枠で再放送され、その後リメイクに繋がった作品は少なくない。『ルパン三世』を筆頭に、『エースをねらえ!』『ど根性ガエル』『天才バカボン』は、再放送で人気が集まり、リメイクにつながった作品といわれている。
 東京ムービーで脚本制作に携わっていた山崎敬之の『テレビアニメ魂』(講談社現代新書)によると次のような状況だったという。

「本放送が土曜の午後七時~七時半だった『天才バカボン』は、夕方の五時台に再放送されることになった。
 するとなんと――放送の回を追うごとに視聴率が上昇し、ついには一五%を記録し、本放送のそれを上回ってしまったのだ。
 さらに同じ現象が『ルパン三世』の再放送でも起こった。やはり平均視聴率は一五%と、本放送を上回る数字をあげたのである。
 『早漏気味でして……』という(引用者注:東京ムービーの藤岡プロデューサーの)弁明は、まさに真実だったのだ。天才プロデューサーの企画は、やはり的を射ていた。ただ少し早すぎたのである。藤岡さんが面白いと思ったものを視聴者が理解し、受け入れるまで若干の時差があったということだ。
 この異変に注目したのが、日本テレビのチーフプロデューサー吉川(文武)さんだった。当時、局最年少のチーフだった彼は、この視聴率を見てすぐに反応した。
 『天才バカボン』は本放送終了の三年後(七五年)に、『ルパン三世』は五年後(七七年)に、リメイクした新シリーズとして蘇った」

 『テレビアニメ魂』では『ルパン三世』と『天才バカボン』の話のみが話題になっているが、そのほかでも、『ど根性ガエル』の再放送で第52話が34.4%の最高視聴率をとったことが、’81年の『新・ど根性ガエル』につながったている。また『エースをねらえ!』は毎日放送をキー局として放送されたが、日本テレビでの再放送が人気を集め、同局で5年後の『新・エースをねらえ!』として蘇った。

 以上は再放送が作品の掘り起こしにつながった例だ。一方、人気の反映として再放送されたのが『宇宙戦艦ヤマト』だ。
 ’74年から放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、本放送での視聴率こそ苦戦したものの、熱狂的なファンを得たタイトル。’76年に1回、’77年に1回、’78年に1回とコンスタントに再放送を重ねている。’77年は劇場版公開にあわせた再放送で、’78年は続編『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開に合わせた再放送と思われる。
 
 ’77年8月5日付けの朝日新聞朝刊は「異常人気 『宇宙戦艦ヤマト』」という記事を掲載している。翌日からの映画公開を控えて、『ヤマト』人気をビジネスまわりから概観した内容だが、そこに「放送が終わった後も再放送を望む声があって、日本テレビが7月29日から再放送を始めている」という記述がある。ファンの高い熱気を受けての再放送であることを裏付けている。
 当然ながらこうした再放送もまたファンが拡大再生産される。’90年代に入り『新世紀エヴァンゲリオン』が放送後の深夜の再放送でさらに人気を広めたが、『ヤマト』の再放送もそれと同じ効果を持っていたはずだ。
 ’68年生まれの筆者の周囲では、この時期の再放送で『ヤマト』を知った、という人が多い。「中高生が熱狂しているブームは、その裾野を小学生にまで波及させることが可能」という考え方があるそうだが、『ヤマト』の場合、再放送がファンの裾野を広げるいいチャンスになったといえる。
 そういう意味では、’80年前後の「第一次アニメブーム」を可能にしたファンの厚みは、『ヤマト』の再放送で培われたという可能性もあるだろう。

 知られざる名作を掘り起こすにせよ、新たなファン層を獲得するにせよ、日本テレビの再放送枠は、「未来に繋がる新たな可能性を獲得する場所」として機能したのは間違いない。その点で、過去作品による歴史性を実感させるテレビ朝日の再放送枠とは好対照をなしていた。

 いわゆるオタクの世代を’60年前後生まれの第一世代、’70年前後の第二世代、’80年前後の第三世代と分ける考え方がある。
 しかしことアニメに関しては、この世代分けがどこまで実体を反映しているかは、一考の余地があるのではないか。
 筆者は、ここ数回にわたって見てきた’70年代の再放送の状況を考えるに、’60年前後と’70年前後の世代は、再放送のおかげで実はほぼひとつらなりのTVアニメ体験をしていると考えたほうが自然のように感じている。わざわざ世代を分ける必要はない、ということだ。
 もちろん年齢が10歳違えば、作品の受け止め方はかなり違うということはあるだろう。
 しかし、’80年前後生まれの世代が再放送が極端に減った――そういう意味ではTVアニメの放送環境から“歴史”が失われた――放送環境の中で育っている、ということを考えれば、’60年前後、’70年前後の世代の差は思ったよりも小さい。いささな年齢に幅がありすぎるとはいえ、いっそ彼らをひとまとめに「第一次アニメブーム世代」と括ったほうがアニメの歴史を振り返るにはわかりやすいように思う。

 さて次回は一度、話題の方向を変えて、’70年代の新聞で「アニメ」という言葉がどのように使われていたか、を確認したいと思う。そして今後は、この「第一次アニメブーム」が番組表の上でどのように展開しているかを追っていく予定だ。

[筆者の紹介]
藤津亮太
 (ふじつ・りょうた)
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21