トーレン・スミス氏追悼コラム 第4回 マンガビジネスからの引退

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第18回-4
「北米で日本マンガ出版に力を尽くしたカナダ人:トーレン・スミス氏追悼コラム」

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

 

無題■ 左開き?右開き?

「プロテウス」の出す作品が読者から愛されたのは、その丁寧なローカライズにも理由があったと言う人もいる。特にその翻訳は、コミックス慣れした読者が自然に読めるセリフまわしで高い評価を受けていた。

今では日本のオリジナルに近い形で出されることが多い日本のマンガも、当時はアメリカのコミックスに慣れた読者がスムーズに読めるように、一部の作品を除いて様々な手が加えられていた。
ページが反転され「左開き」となり、オノマトペも英語に作り直された。絵の一部となっているオノマトペを新しく作り直し、オリジナルの作風やムードを壊さずにページに入れ込むのは大変な作業だ。出版社側に大きな負担となっていたが、当時は北米の読者から受け入れられるために必要だと考えられていた。

後に2000年代に入って、Tokyopopが右開きにもオノマトペにも手を加えずに出版し、「ホンモノのマンガ」(Authentic Manga)を謳って一般書店でキャンペーンを行い、北米に日本マンガブームを巻き起こす。
そしてこの時の日本マンガの読者のほぼ半数以上が、アメリカのコミックス業界では「コミックスを読まない」と何十年も考えられてきた10代の少女たちだった。そして、このブームは少女マンガに対する新たな需要を生み、ブーム後は逆に「プロテウス」が手がけた作品などの一部を例外として、青年向けのマンガがなかなか売れないと言われるようになっている。

Tokyopopと2000年代の日本マンガブームについて、詳しくはこのコラムの過去の記事、特に「北米のマンガブームのきっかけ」(1)を読んでいただくとして、Tokyopopの創業者であるスチュアート・リービー氏とトーレン・スミス氏を比較すると面白い。
スミス氏と違ってリービー氏は、アメリカのコミックスのファンでもなければ、SFファンでもなかった。リービー氏のとった戦略は、子供が買い易いように単行本の価格を下げるため、ローカライズを最小限にしてコストを抑え、逆にそれを「ホンモノ」と呼びセールスポイントにした。そして「MANGA」という言葉を積極的に使ってブランド化し、アメリカのコミックスとは別の商品、つまり「MANGA」という新商品として日本マンガを売り出したのである。

スミス氏はブーム以降も「少女マンガには興味が無い」と公言し、決してこのジャンルに手をつけることはなかった。
しかし、たとえ1980年代に「プロテウス」が少女マンガを扱ったとしても、実際に売れたかどうかはわからない。VIZが90年代に出した少女マンガラインも人気が出ずに終わっている。

■ マンガビジネスからの引退

後にはじけることになる北米の日本マンガブームがまだ絶頂を迎える少し前の2004年、トーレン・スミス氏はいきなり引退を宣言した。ごく一部の作品(2)を除いてそれまで独占的契約を結んでいたDark Horseに自社の保有するローカライズの権利を譲ると発表した。
決して「プロテウス」の業績悪化によるものではない。「仕事で燃え尽きた」と同時に「今のマンガ業界はもうわたしの手に負えないものになってしまった」(3)というのがその理由だった。

2004年には、北米のマンガ市場はスミス氏が「プロテウス」を興した頃とは様変わりしていた。それまでのコミックス専門店だけでなく一般書店の店頭にもマンガが並ぶようになり、日本マンガブームが少女という新しい読者を連れてきていた。
売上は毎年倍々に伸びて、大手もマンガビジネスに目を向け始め、マンガ出版に乗り出す会社も増えた。10年間に出たすべてのタイトル数が180弱だった頃とは違い、2004年にはTokyopopが出したタイトル数だけでも年間400タイトル以上に及んだ。(2008年頃には、市場全体で1700を超えた。)

粗製濫造とも見えるTokyopopのやり方が支配する市場で、どれだけ安く大量にマンガを出せるかを競うような仕事はしたくない。スミス氏はそう考えたようだった。
ローカライズにお金をかけないTokyopopの商品は子供でも買い易い価格設定(10ドル以下)だったが、その翻訳のひどさを指摘する人は多い。一方で翻訳者やレタラー(吹き出しに文字を入れる人)にふさわしい賃金を払い、質の高い丁寧な仕事で知られた「プロテウス」のマンガは価格が高くならざるを得ず、読者からだけでなく書店からも価格を下げて欲しいとの要望が来るようになっていた。

厳選された作品を質の高いローカライズで読者に提供することこそが、北米の日本マンガ市場の発展にとって大事だと考えていたスミス氏は、マンガを日本で作られたままの「右開き」で出すことに強い抵抗感を示し続けた。引退を宣言する少し前から、スミス氏はマンガ読者とネット上でしばしば「右開き」「左開き」を巡って論争を繰り広げている。

しかしその議論は噛み合わなかった。21世紀のブーム以降の日本マンガの読者はそれまでコミックスを読んでこなかった10代の少年や少女たちであり、アメリカのコミックスを参照して日本のマンガを語ることはなかった。何故なら、彼らは「MANGA」という新商品だったからこそ日本のマンガに惹かれたのであり、「右開き」という「異質性」すら「MANGA」の魅力のひとつだったからである。オリジナルのままであることに価値を置く彼らにはスミス氏が、時代遅れのやり方に執着する昔気質の業界人にしか見えなかった。

そしてスミス氏は、新しいマンガ読者に困惑した。英語版で女性の裸を隠す編集が加えられたことに怒っても、ヒドイ翻訳で物語を台無しにされたことには怒らない若い読者を理解できなかった。わざわざ読みにくい「右開き」を選ぶ読者は、マンガ好きというより日本のポップカルチャーなら何でも無条件に受け入れる日本好きに見えた。そして自分のブログで質問に答えたスミス氏は「日本語を読めるふりをした新米OTAKUのために、ほとんど翻訳とも呼べないような下手くそなシロモノを出版することでは、自分は満足できない」ので、マンガビジネスから手をひく決意を固めたと述べている。(3)

両者の議論が噛み合わないのは、ある意味当然である。ここで語られていたのは実は日本マンガのローカライズの是非ではなく、「右開き」「左開き」で象徴される別の商品のことだったからだ。つまり一方は「Japanese comics」(日本のマンガ)について話し、もう一方は「MANGA」について話していた。後にスミス氏は「右開き」の需要の大きさに屈して「右開き」で出すことをDark Horseに提案するが、結局マンガブームが収束に向かい、デジタルでマンガを読む読者が増えるにつれ、オリジナルのままの「右開き」に執着する若い読者も減っているようだ。

スミス氏はComics Journalのインタビュー の中で「ブームは必ず終わる」と、北米におけるマンガブームの終焉を予言した。そして、書店は大量に出版される日本マンガの中から良質なものを選べるほど日本マンガについて知らないため、質の悪い作品が大量に市場に蔓延し、結局は市場全体を崩壊させる、とも語った。当時スミス氏だけでなく業界人の多くが、売上増加に伴う急激な販売点数の増加に市場飽和の懸念を抱いていたのは確かである。それはアメリカのコミックス業界がその歴史の中で、何度か味わってきたことでもあったのだ。

ただし、スミス氏は「日本のマンガはブーム以前よりは大きな市場として、北米に定着するだろう」とも話している。現在、北米で日本マンガのブームは終わった。日本マンガの売上は年々下がり今年で下げ止まるかどうかもまだわからない。しかし、少なくとも日本マンガへの認知が北米でブーム以前より高まったのは確かだ。「MANGA」は今や外来語とは言え、英語の一部となった。

そして、日本マンガの認知を高めるのに北米で25年以上前から尽力してきた人物がトーレン・スミス氏だった。日本マンガに寄せたその愛情と普及への貢献に対して心からの敬意を抱き、ご冥福を祈りたい。  
R.I.P., Mr.Toren Smith

(1)「北米マンガ事情 第8回 北米のマンガブームのきっかけ」2011年9月15日
http://www.animeanime.biz/all/119151/  
http://www.animeanime.biz/all/119152/  
http://www.animeanime.biz/all/119153/
(2)Fantagraphics社のEros Comicsレーベルに対する成人向け作品と『無限の住人』など。
(3)”A sort of interview” November 29, 2005
http://mrcaxton.livejournal.com/3243.html