トーレン・スミス氏追悼コラム 第3回 日本マンガのゲートキーパーとしての「プロテウス」

現在の日本マンガ人気も、市場開拓の初期に「プロメテウス」の果たした役割は大きい。(c)Getty Images
現在の日本マンガ人気も、市場開拓の初期に「プロメテウス」の果たした役割は大きい。(c)Getty Images

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第18回-3
「北米で日本マンガ出版に力を尽くしたカナダ人:トーレン・スミス氏追悼コラム」

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

 

■ 日本マンガのゲートキーパーとしての「プロテウス」

大雑把に言ってしまうと1970年代から90年代の後半まで、アメリカでコミックスはニューススタンドか「コミックス専門店」で売られるものだった。現在では一般書店で見かけることが多い日本のマンガも北米で出版が始まった頃は、「プロテウス」の取引先の出版社もVIZもアメリカのコミックスに倣って(単行本ではなく)コミックブック(30ページ弱のパンフレット状の雑誌)で出して、コミックス専門店に卸していた。
売れるかどうかもわからない日本マンガを販売しようとした時、アメリカの既存のコミックス流通をお手本にしたのは、ある意味当然であり、同時に仕方の無いことだった。何故なら当時一般書店に置きたくても、書店ではごく一部のコミックスしか扱っていなかったからである。

北米のコミックス文化において、コミックス専門店は単にコミックスを販売する以上の場所であり、熱心なファンにとって活動のハブだった。特にインターネット以前は、読者が集い、店のオーナーや他の読者と情報交換をしながらコミックスについて語るサロンのようなところだったのである。

そのコミックス専門店の顧客は昔も今も男性客がほとんどで、彼らはコミックス以外にもSFやファンタジー、TRPGゲーム等の趣味を共有していた。スミス氏がSFコンベンションで日本アニメの上映会を行ったり、日本アニメ・マンガのファンクラブの名称が「Cartoon /Fantasy Organization(カトゥーン・ファンタジー・オーガニゼーション)」であることもからわかるように、日本のアニメやマンガもアメリカのコミックス同様、SFやファンタジーへの親和性が高く、別の見方をすれば当時のマンガやアニメのファンダムはSFファンダムという大きなコミュニティの中の一部だったと言うこともできるだろう。

最終的には一般書店に流通させ読者層を広げたいと望んでいた出版社もあったが、当初はコミックス専門店への流通も含めて、日本マンガはアメリカのフォーマットに合わせた形で出版された。この時日本マンガの読者として最初に想定されたのは、このコミックス専門店に集うアメリカのコミックス読者であり、「プロテウス」の作品は、まさにこのコミックス専門店の顧客から支持を得たのである。

「プロテウス」がその活動を開始した頃、アメリカでも日本同様、70年代後半の「スター・ウォーズ」の成功によるSF人気がまだ続いていた。フランスで出版されたSFファンタジー専門コミックス(イラスト)雑誌の英語版『Heavy Metal』が多くのヨーロッパのアーティストを紹介し、アメリカのアーティストに影響を与えコミックスに変化を促していた頃である。

そして、アメリカのコミックス市場では80年代中盤、自費出版の隆盛もあってカラーが主流の市場に白黒作品のブームが到来する。このブームを先導したのが1984年に出版が開始され、後にアニメや実写映画となって作者に巨万の富をもたらした『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』だ。ブームと言われるほど売れたことで、アメリカのコミックス市場での白黒作品に対するハードルは低くなり、SFブームの余波で海外の目新しい作風の作品への読者の抵抗も少なくなっていた。
加えて、この時期放映された日本アニメがカルト的な人気を博していた。例えば、1984年には『Voltron』(『百獣王ゴライオン』『機甲艦隊ダイラガーXV』の2本を合わせて編集)、1985年には『Robotech』(『超時空要塞マクロス』『機甲創世記モスピーダ』『超時空騎団サザンクロス』の3本を合わせて編集)がTV放映されている。これらの作品は編集により別作品に作り変えられていたため、一部のファンの怒りを招いたが、後にアメリカで続編が作られるほどには支持を得ていた。

スミス氏にはこの状況がよくわかっていたのだろう。スミス氏が単独で選んだ「プロテウス」の作品がよく売れたのは、氏が売れるタイトルを見抜く優れた選択眼を持っていたことを意味する。
それはスミス氏自身が日米のSFとコミックスの業界、そしてファンダムに精通していたことも関係しているに違いない。

「日本のSF漫画がアメリカで受け入れられる素地を作ったのはまちがいなくトーレン・スミスだし、広い意味では、最近の日本SFの英訳も、彼が開拓した土壌の上で花開いていたものだろう。Mangaをアメリカに根づかせた功労者として、トーレン・スミスの名が長く記憶されることを祈る。」

上に挙げたのは、先に紹介した大森望氏による『SFマガジン』掲載コラムの最後の文章である。筆者自身、大森氏に心から賛同しつつ、このコラムが『SFマガジン』に掲載されたことを理解した上で、特に大森氏が冒頭に「日本のSF漫画」とした点に注目したい。

スミス氏が「Mangaをアメリカに根づかせた功労者」なのはまったくその通りだが、その「Manga」とは実は大森氏の言う通り「日本のSF漫画」であり、更に正確に言うと「SF漫画」を含む「青年向けのマンガ」である。「プロテウス」はアメリカのコミックス読者に受け入れられる形での出版を試み、結果的に成功した。しかしこの成功ははからずも日本マンガに対するイメージを限定的なものにしてしまう。つまり80年代から90年代にかけて、アメリカにおいて日本のマンガと言えば、SFであり、ファンタジーであり、激しい暴力描写が多く、性的な描写も多い青年向きの作品となったのだ。当時の北米読者の日本マンガ観形成に「プロテウス」が寄与した部分は大きい。