トーレン・スミス氏追悼コラム 第2回 北米で日本マンガの市場を開拓したパイオニア

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第18回-2
「北米で日本マンガ出版に力を尽くしたカナダ人:トーレン・スミス氏追悼コラム」

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

「DAICON5」でSF作家の高千穂遥氏に紹介されたスミス氏は、高千穂氏の了承のもと、『ダーティー・ペア』の完全オリジナルを書き下ろし、日本のマンガに影響を受けた絵柄で知られるAdam Warren(アダム・ウォーレン)氏の作画で『ダーティ・ペア』英語版マンガを制作した。日本のプロパティを使ったアメリカにおけるオリジナル作品のひとつである。
「DAICON5」でSF作家の高千穂遥氏に紹介されたスミス氏は、高千穂氏の了承のもと、『ダーティー・ペア』の完全オリジナルを書き下ろし、日本のマンガに影響を受けた絵柄で知られるAdam Warren(アダム・ウォーレン)氏の作画で『ダーティ・ペア』英語版マンガを制作した。日本のプロパティを使ったアメリカにおけるオリジナル作品のひとつである。

■ 北米で日本マンガの市場を開拓したパイオニアのひとり

スミス氏の業績をあらためて一言で言うならば、「北米において日本マンガの商業出版が始まった最初期に、日本マンガのローカライズを専門に行う会社を興して成功したこと」に尽きる。しかしそうは言っても、1980年代の中盤に、日本マンガを北米で出版したいと考えていたのは、スミス氏だけではなかった。

すべてが出版まで至ったわけではないものの、この頃日米ともに出版社や個人によって北米での日本マンガ出版の試みが模索されていた。実際にVIZの『カムイ外伝』らと時を同じくして『子連れ狼』が新興出版社First Comicsから出版され、この前年には少部数ながら『ゴルゴ13』英語版も刊行されている。
どうやら80年代の中頃には、日本マンガ受容の素地が北米に出来つつあると感じていた人が、業界内またはファンダム周囲に、ある程度の数でいたようである。

北米の日本マンガ市場の黎明期、色々な人物が色々な形で日本マンガの出版と普及に貢献した。例えばファンとして広報の面で貢献した人物として、アメリカ初の日本アニメとマンガのファンクラブである「Cartoon / Fantasy Organization(カトゥーン/ファンタジー・オーガニゼーション)」の創設者のひとり、Fred Patten(フレッド・パッテン)氏がいる。パッテン氏は図書館司書として働きながら、80 年代からアニメのパッケージ(LD、VHS、DVD)のライナーノートや雑誌に数多くのアニメやマンガの紹介記事を書き続けてきた。

研究的な面では、「日本マンガを海外に広く紹介した功績に対して」手塚治虫文化賞を受賞したフレッド・ショット氏もいる。
ショット氏による最初の日本マンガについての著作『Manga!Manga! The World of Japanese Comics 』の刊行は1983年だが、現在でも海外の日本マンガ研究の必読本の1冊として多くのファンや研究者に読まれている。優秀な翻訳者としても知られ、「プロテウス」で働いていたこともある。

そして出版ではやはりVIZの存在も大きい。小学館の出資をとりつけ、アメリカに日本マンガ出版社を創立したVIZの堀淵清治氏(著書『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』2006年)も間違いなくこの時期の功労者のひとりだ。

90年代前半頃までは、日本のアニメやマンガのファンがアニメのディストリビューターやマンガ出版社等を始める例は少なくなかった。スミス氏もその例に漏れない。
しかし先にも述べたように、特にスミス氏の貢献が大きい理由は、最初期にローカライズを行う会社を興して直接出版に携わっただけでなく、その会社が成功した点にある。

■ 日本マンガ専門のローカライザー

スミス氏が立ち上げたのは出版社ではなく、ローカライズを専門とする会社だった。そしてスミス氏の功績は、何よりも「プロテウス」が関わったタイトルがすべてではないにせよ、読者に好評でよく売れたという事実に支えられている。

そもそも何故スミス氏が出版社ではなくローカライズを専門とする会社を設立することを選んだのか、今回調べてもこの点に言及した記事を見つけることはできなかった。愛する日本マンガを自分の理想とする形で出したかったのか、それとも出版社を興すよりもリスクが少ないと考えたのか、理由はわからない。いずれにせよローカライズ専門の会社だったことが成功の要因のひとつだったのではないだろうか。

小学館など一部の出版社の作品は扱えなかったものの、「プロテウス」は日本の会社との関係に縛られずに好きな作品を選ぶことができた。後にDark Horse Comics社と独占契約を結び、同社にのみ作品を提供するようになるが、初期には北米のどの出版社とも取引できる立場にあった。
英語版を出す北米の出版社側からすると、連絡を取ることすら難しいと言われた日本の出版社と交渉するところから始めるのと、出版できる形で作品を提供してくれる会社と取引するのとでは、後者のほうが出版へのモチベーションが高まっただろう。

Jason Thompsonの『Manga: The Complete Guide』(Del Rey Books 2007)を参考にしたグラフ(5)をざっと数えたところでは、マンガ出版が始まった1987年からほぼ10年間に北米で出た日本産マンガの全タイトル数は(あくまで目安だが)およそ180弱。VIZがこの10年間に出したのはおよそ70で全体の38%、「プロテウス」が関わった作品が45で25%になる。(VIZの70にはスミス氏が翻訳した『カムイ外伝』と『風の谷のナウシカ』の2作品も含まれる。)

これがタイトル数の市場占有率ではなく、売れた部数の占有率で見たとしたら、もう少し違う数字になったに違いない。「プロテウス」の手がけた作品からは、士郎正宗作品や『ガンスミスキャッツ』等のSF作品に加え、『無限の住人』、『あぁっ女神さまっ』等のヒット作が生まれた。

「プロテウス」のHPでは、1998年5月の時点で以下のような会社紹介が掲載されていた。

「「スタジオ・プロテウス」は1988年の創業以来、45のマンガシリーズの1万9千ページ以上をローカライズしてきました。手がけたマンガの売上部数は9百万部以上にのぼります。」

「9百万部」という数字には、「プロテウス」が取引していた北米以外の国(イタリア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ)の売上も含まれていると思われるが、それでも1980年から90年代後半の日本産マンガの市場の小ささを考えると驚異的な数字である。(アメリカでは白黒作品なら1万部売れればヒット作と言われた時代だったと言う。(2) )

(1)「ビズメディア 北米マンガ市場の開拓者」松井剛 『一橋ビジネスレビュー 検証COOL JAPAN 北米における日本のポップカルチャー』2010年冬号
(2)「【マンガ】を英単語にした男」(『別冊宝島117変なニッポン』1990年8月
Jeffrey A. Brown “Black Superheroes, Milestone Comics, and Their Fans” Mississippi 2001 p.78

第3回に続くhttp://www.animeanime.biz/all/135192/