北米のマンガ事情第11回 現地化に伴う変更・編集について考える 

■ 文化的違いによる受容の違い

日本のアニメやマンガが海外で発売されるようになり、それ以来ずっと現地のライセンシー・日本のライセンサー・作者は様々な条件を考えながら、現地化に取り組んできた 。「ファンの要望に応えて、なるべく現地化による変更を加えずに、オリジナルに忠実に販売すべき」という見解は、ファンの期待に応えるという意味で理に適っているように思われる上に、そのコンテンツを作り、輸出する側である日本では特に理解しやすく、受け入れやすい 。しかし、なるべく多くの人に作品を届けることが作者と作品にとって一番幸福なことだと考えた場合、現地化による変更・編集は、発売される国々の事情や個々の作品の固有性、対象となる読者・視聴者などを無視して大枠で語るべきことではない。

そもそも日本のアニメやマンガが好きな海外のファンがオリジナルになるべく近い形での消費を望み、一見日本のファンと同じように楽しんでいるように見えても、本当に同じように内容を受容しているのか、同じように理解しているのか、それすらもわたしたちにはわかっていない。それは、海外で作品がオリジナルの日本版に近い形で発売されるか・されないかとは一切関係がなく、単に文化的差異の問題である。日本とは文化の違う海外のファンと日本のファンの間で作品の理解の仕方などの受容がどれほど異なっているか、どのように異なっているかを、まだ把握してはいないのだ。

様々な環境の変化のもと、世界は”フラット化”し均一化していくと言われながらも、国ごとの文化の差はもちろん消えたわけではない。少し古い本だが2009年に日本で出版された『コークは国ごとに違うべきか-ゲマワット教授の経営教室』によると、その時点で数あるグローバル企業の中でも「広く普及していて完全に標準化されている唯一の製品はプリングルズのポテトチップ」だけだったそうだ 。コカ・コーラも世界中で味が違う。これだけ情報が瞬時にいきわたる時代でも、日々実践されている暮らしに根付く文化はそれぞれの土地に依然として根強い。アニメやマンガの分野でも異文化間の受容の差異について、益々の研究が待たれる。

最後に、冒頭で述べた『ピポチュー』に話を戻そう。『ピポチュー』は英語版の出版に際して単行本表紙のカバーを中指を立てた女の子から、挑発的に胸を突き出す女の子のイラストへ変更された。掲示板での書き込みでは出版元がその変更に責任があるとして非難されたが、実はこれは作者であるフェリーペ・スミス氏自身の希望による変更だった。スミス氏は日本語版1巻の表紙をとても気に入っていたし、アメリカにいる日本マンガのファンたちが、オリジナルに忠実な形の出版を望む傾向があることもよく知っていた。しかし中指を立てた女の子の絵を表紙に使うことで、アメリカで『ピポチュー』の本を手に取る人が限定されてしまうことを恐れたのである。スミス氏は「中指を立てたイラスト」がアメリカで持つ意味と日本で持つ意味の違いを考え、あえてオリジナルを選ばなかったのだ。

結局、『ピポチュー』はオリジナルの日本語版より英語版のほうが売れたが、その差が表紙を変えたことに関係あるのか、それはわからない。

(注釈)
4. 現地化に関して出版社が最善を目指して悩む様子は、Viz Media(当時Viz Communications)の創設者・堀淵清治氏の著作『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてマンガを読むようになったか』(日経BP出版センター、2006年)に詳しい。
5.  念のために書いておくと、現地化による変更・編集は作者の同意が大前提で、当然作者が反対すれば行うべきではないと思う。『ドラゴンボール』の作者の鳥山明氏は絵が反転するのを嫌い、当時他の日本マンガが反転した絵の左開きで出版する中、『ドラゴンボール』を右開きで出版していたのは有名だ。
6. 『コークは国ごとに違うべきか-ゲマワット教授の経営教室』 パンカジ・ゲマワット、文藝春秋、2009年、185ページ。