藤津亮太のテレビとアニメの時代 第23回 ’90年代後半の深夜アニメの変転

藤津亮太のテレビとアニメの時代
第23回 ’90年代後半の深夜アニメの変転

藤津亮太
1968年生まれ。アニメ評論家。
編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/


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 今回は’96年から’00年までの深夜アニメの変遷を表とグラフにまとめた。TBSの情報バラエティ『ワンダフル』内で放送された作品をのぞいて時間帯別に番組名を記してある。
 この表とグラフを見ると、’96年に始まり次第に増えていった深夜アニメを牽引していったのはまずテレビ東京だったことがわかる。
 この時期の特徴の一つに、5年間の大半の期間で深夜アニメの半分以上がテレビ東京で放送されている。他局は、このテレビ東京に追随するかたちで、深夜枠を増やしているが、テレビ東京ほどの本数は放送していない。
 深夜枠は、玩具会社などがスポンサーとなって制作費と放送料を支払うのではなく、ビデオメーカーなどが中心となった製作委員会が放送枠を買い取り、そこで自分たちが製作した番組を放送するという仕組みで成り立っている。

 深夜アニメの増加で一番目立つ変化は、1クール作品が増加したことだ。
 マーチャンダイズ主導の作品であれば1年間4クール(時によってはそれ以上)、短くとも半年2クールが基本だったが、深夜アニメの増加の中で、1クール作品が増えてきた。
 1クール作品の増加は、DVDセールスでリクープというビジネスモデルの確立が大きな理由だろう。
 作品企画を準備する段階では、1クール作品が4クール作品よりも手間が少ないということはない。つまり1クール作品のほうがむしろ効率が悪い面はある。
 だが一方で、制作話数が少なくなり総予算が減るかわりに、タイトル数を増やすことができるので、「数打てば当たる鉄砲」の論理で赤字のリスクを減らすことができる。
 また制作現場では、立ち上げの苦労は相対的に大きくなるものの、遅れがちなスケジュールをキープしながらシリーズを完走することを考えると1クールは“駆け抜け”やすいというメリットもある。
 また’80年代からTVドラマが1クール中心になりつつあったことも遠因として考えられる。
 深夜枠では、アニメのビジネスの軸足が明確に変わったことがよりはっきりと現れた。それが1作品がOAされる放送局の数の低下だ。
 夕方の枠では、局製作(局主導の企画のこと)とまでいかなくとも、TV番組として制作されることが色濃く求められていた。だが深夜枠では、(TV局がそう望まなくとも)TV番組以前に映像商品としての側面が強く打ち出されることになったのだ。
 たとえば、俗にDVDリテイクといわれる、放送後に不満足だったカットを修正し、パッケージにはそちらを収録するというのも’90年代後半から当たり前になっていく。これなどもアニメがTV番組から映像商品に軸足を移した傍証の一つだろう。

 TVというメディアは、全国津々浦々にまで情報をばらまく力がある。それはほかのメディアに比しても強い。それは全国一律にネットされるキー局を中心とした地方局で構成されているネットワークの力でもあった。たとえばマーチャンダイズ中心のアニメは、この「ばらまく力」があればこそ成立しているといえる。
 だがパッケージビジネスがメインとなって、数万人から十万人程度のファンにDVDを買ってもらえればいいとなると、そこまで強力なばらまく力は不要だ。
 たとえば、テレビ東京のTXNネットワークがテレビ大阪・テレビ愛知・テレビせとうち・テレビ北海道・TVQ九州放送の全6社。深夜アニメはこの全部でネットしているわけではない。逆にいうと、これぐらいの規模のネットでも人口密集圏を抑えていればパッケージビジネスが成立することが確認できたからこそ、深夜枠が成立するようになったということでもある。
 テレビ東京よりも系列の多いキー局・準キー局であっても、深夜枠はローカル枠。だからキー局で放送されたとしても、全国で一斉に放送されるわけではない。その番組の放送を希望し、CMの手当がついた地方局のみがその番組を放送することになる。
、たとえばMBSをキー局として放送された『フォーチュンクエストL』だ。
 MBSがキー局でありながら、東京の放送はテレビ東京、しかも放送はMBSの放送より半年以上遅れた翌年1998年6月。このほか同作品を放送したのは。TBS・MBS系列の東北放送とテレビユー福島のみ。テレビ東京系ネットワークよりも少ない。
 一つの作品の放送局数が減っていくというのは、ファン全体が一つの番組を一緒に楽しむ共時性は失われるということでもある。
 趣味の細分化、タイトル数の増加とともに、70年代に成立した「TVアニメ」の姿は、’85年のアニメブームの終了後からゆっくりと変質していき、深夜枠の定着に至って、完全に別のものになったといえる。
 その変化については、もう少し後で総括することになると思うが、フローとして消費されてきたアニメが、ストック化していった過程であるといえる。

 また人口密集圏を低いコストでカバーするという点で、今後、存在感を増していくことになるのが独立系UHF局だ。
 1998年に『LEGEND OF BASARA』がサンテレビなどで放送をしたのがU局深夜枠の皮切りだが、21世紀に入ると次第に深夜アニメはU局へとシフトしていく。U局の番組へのかかわりは多くの場合、あくまでも大家として「枠」を貸すだけに留まり、制作の主導は完全に製作委員会にあることになる。これはパッケージビジネス主導となりTV放送が、新作のショーケースと位置づけられた以上、自然の成り行きである。
 また企画面では、18禁のエロゲーム原作の映像化がOAされるようになったのも特徴の一つといえる。これまでも深夜番組らしいソフトエロをウリにしたアニメや、18禁のOVAの一部をカットした上でOAした場合はあったが、「原作ゲームそのものに年齢制限がかかっているが、映像は全年齢として制作される」というケースは『Night Walker -真夜中の探偵-』を嚆矢として始まっている。

 次回は2001年以降の深夜枠の状況を見てみよう。