文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情-第4回「辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』のプロモーションについて考える」

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情-
第4回「辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』のプロモーションについて考える」

椎名 ゆかり
アニメ、マンガ関連の翻訳者で、海外マンガを紹介する様々な仕事を行っている。アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業を開始した。
主なクライアントは講談社『モーニング』で連載を持つフェリーぺ・スミス。翻訳書はアメリカのマンガ『メガトーキョー』他。
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/


前回のコラム「2010年 北米マンガ業界10大ニュース」の8位「オルタナティブ系mangaに注目が集まる」で取り上げたように、2010年に北米で辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』が大きな注目を集めた。アメリカではmangaは日本以上に「子供向け」というイメージが強く、一部を除きなかなか大人の読者を獲得するまでには至っていないが、『劇画漂流』は『ニューヨーク・タイムス』(1)や『ロサンジェルス・タイムス』(2)と言った大手一般紙の「ブック・レビュー」コーナーで取りあげられ、mangaやコミックスのファンに留まらない、広い層の読者に作品が紹介された。
昨年7月には、優れたコミックスに送られるアイズナー賞を2部門(3)で受賞している。辰巳の本は2005年から北米で売られ、どの作品も高い評価を受けていたが、2009年に発売された『劇画漂流』に対する評価がわたしの見る範囲では一番高く、しかも注目度が高い。

批評家から高い評価を受けても売上が伴わないのは、日本でもアメリカでもよくあることだが、この作品を出したカナダの出版社ドローン&クオータリー(D&Q)社によると、去年の7月末の時点で4冊出ていた辰巳の本(現在では5冊)は累計6万部に達しているという(4)。恐らくアイズナー賞を受賞した『劇画漂流が』が一番売れていて、その影響で過去の本の売上も動いたと推測できるが、1冊平均1万5千冊はアメリカではmangaとしても、コミックスとしてもかなりの数だ。

この売上の良さは2005年から辰巳の作品が北米で地道に紹介されてきた成果とも言えるが、本自体がアメリカでかなり幸福な紹介のされ方をした結果とも言える。言い換えると、辰巳の本に興味を持つと想定される読者に、十分訴求力を持つ形で紹介された、ということでもあり、更に別の言い方をすれば、商品としての『劇画漂流』のプレゼンテーションがアメリカでは上手く行われていたということだ。それでは、『劇画漂流』は、アメリカでどのように紹介されていたのか。そしてそれはどうして成功したのか。

とは言え、ここでその成功の理由を検証するのは、ある意味無責任なことではある。売れた商品に対して後から「こういう理由で売れた」と言うのは誰にでもできることであり、その理由がたとえ正しかったとしても、別の作品のケースに必ずしも応用できるとは限らない。しかし偶然にせよ人為的にせよ『劇画漂流』が注目を集めた要因は作品の素晴らしさに加えていくつか存在しており、それをまとめておくことだけでも意味はあると考えるので、以下でその要因についてわたしの考えを述べてみたい。

結論から言うと、辰巳ヨシヒロと『劇画漂流』は、アメリカの「オルタナティブ・コミックス」というコミックスの1ジャンルの文脈に沿う形で紹介された。そのおかげで消費者にとって辰巳ヨシヒロという作家と『劇画漂流』という作品の理解が容易になり購買意欲が高まった、とわたしは考えている。この「オルタナティブ・コミック」という言葉をきちんと説明しようとすると1回分のコラムでも足りないぐらいなので、ここでは簡単に「スーパーヒーローのコミックスを主に出す大手コミックス出版社DC社やマーベル社以外の、中小の独立系出版社から出ているコミックスをオルタナティブ・コミックスと言う」と考えていただきたい。

1.オルタナティブ・コミックス作家、エードリアン・トミーネの存在

そのオルタナティブ・コミックス作家として高い評価を受ける日系アメリカ人エードリアン・トミーネ(5)が、辰巳作品の出版に関わったことが、今回の辰巳作品の成功に大きく貢献した。それは『劇画漂流』を取り上げた記事に、必ず「辰巳ヨシヒロをアメリカに紹介した人物」としてトミーネの名前が大きく取り上げられていることからも明らかである。

トミーネは辰巳ヨシヒロの作品に感銘を受け、自分の作品を出版しているD&Q社に、辰巳の本を出すよう持ちかけた。D&Q社はオルタナティブ・コミックスで知られるカナダの出版社だ。その企画は1年に1冊辰巳の本を出すという大変野心的なものだったが、D&Q社は2005年から現在まで2007年を除いて年1作のペースで出版し続けている。

しかもトミーネは、企画を出しただけに留まらず、辰巳の本の編集と装丁デザインも手掛けた。日本でも一部の装丁家にはファンが付いているように、アメリカでも装丁が注目されることがある。日本産mangaに関係した例で言うと、有名デザイナーであるチップ・キッドがヴァーティカル社(Vertical)の手塚治虫『ブッダ』の装丁を行い、多くの関心を集めた。

上で述べたように、トミーネ自身が既に高い名声を得て、その作品には多くのファンがついている。そのトミーネが絶賛し、編集と装丁を手掛け、更に『劇画漂流』のプロモーションに大変協力的であったことは、『劇画漂流』のクオリティを保障し、注目を集めるきっかけになったのは間違いない(6)

1 “Manifesto of a Comic-Book Rebel” April 14, 2009
http://www.nytimes.com/2009/04/15/books/15garn.html

2 “‘A Drifting Life’ by Yoshihiro Tatsumi” May 10, 2009
http://www.latimes.com/entertainment/news/la-ca-yoshihiro-tatsumi10-2009may10,0,4667068.story

3 辰巳ヨシヒロが受賞したのは、「ベスト・ノンフィクション作品(Best Reality-Based Work)」と「ベスト海外作品―アジア部門(Best US Edition of International Material- Asia)」。
4 “Indoor Voice plus Con Report” Drawn & Quarterly official blog, July 31, 2010
http://drawnandquarterly.blogspot.com/2010_07_01_archive.html

5 ちなみにエードリアン・トミーネの作品は、日本でもプレスポップギャラリー社から出版されている。
6 実はこの例のように、既にアメリカのコミックス界で名声を得ている人物の推薦によって、日本産mangaが注目されたのは今回が初めてではない。原作者でアーティストであり、アメリカのコミックス界で名声を博すフランク・ミラーは80年代に『子連れ狼』を賞賛しカバーイラストと序文を寄せることで、北米での『子連れ狼』注目のきっかけを作った。

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