文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情-第2回「北米でmangaは何を指しているのか」

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情- 
第2回「北米でmangaは何を指しているのか」

椎名 ゆかり
アニメ、マンガ関連の翻訳者で、海外マンガを紹介する様々な仕事を行っている。アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業を開始した。
主なクライアントは講談社『モーニング』で連載を持つフェリーぺ・スミス。翻訳書はアメリカのマンガ『メガトーキョー』他。
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/


連載第1回の前回「北米には北米の社会的、文化的文脈があり、マンガに対する認識も受容も違う」と書いた。もちろん「当然、そんなことはわかっている」と考える読者の方も多いと思う。

しかし自戒と反省を込めて書くのだが、「海外で日本のマンガが人気」と聞いたとき、その人気に対して「日本のマンガには文化を越える魅力があるので、海外の人も日本人と同じようにマンガが好き」または「同じマンガが好きなのだから、海外の人も日本人と同じようにマンガを受容している」と無意識に思い込んではいないだろうか。

アメリカでmangaという言葉が既に一般化し、外来語として辞書に掲載されるようになってきたことは知られているが、そもそも日本で言う「マンガ」とアメリカでの「manga」は同じものを指しているのだろうか。

今回は北米におけるmangaという言葉の意味について、言い換えると「北米でmangaと言った場合、何を指しているのか」について書いてみたい。

結論から言うと、日本で「マンガ」はメディアの総称を意味するが、アメリカの「manga」は「コミックスというメディアの中のひとつのジャンル」を指している。

ジョージタウン大学の客員助教授ナツ・オノダ=パワー(Natsu Onoda Power)は2009年の著作『God of Comics: Osamu Tezuka and the Creation of Post-World War II(マンガの神さま――手塚治虫と第二次世界大戦後のマンガ)』の中で、アメリカでmangaとは日本マンガの中のごく限られた狭い範囲の作品群を指していると指摘する。

具体的に言うとそれは、「日本」という「文化的起源」を持ち、「第二次世界大戦後」という「時期」に作られ、「理想化された体型や大きな目を持つキャラクターデザインその他」という「絵的な特徴」があり、「性的、暴力的な要素を多く含むストーリー」が「典型的な内容」となる作品群となる。

日本で言う「マンガ」には「海外のマンガ」や「第二次世界大戦前の作品」も含まれる、「絵的な特徴」「典型的な内容」の点で上記の特徴に当てはまらないものも含まれるので、ここで言うmangaが日本で「マンガ」が指すものと同じでないことは明らかだ。ただしオノダ=パワーは、アメリカにおけるmangaへのこの認識は日本産「マンガ」に対する読者側の「誤解」によるものではないと言う。結局その認識は「日本のマンガが輸入され、アメリカの市場で売られた実際の状況からの当然の結果」として生じたものなのだ。

例えばアメリカのmanga市場では特定のジャンルの作品が多く出版される、または特定のジャンルの作品がまったく出版されないなど、出版される作品にある種の傾向がある。その上新作より旧作のほうが後になって出版されるなど、実際の日本での歴史性とは切り離されている。

そのため、それらの「当然の結果」として、mangaは「20世紀後半の、コミックスの世界的流通によって生まれた、ストーリーを語るコミックスの新しいジャンルとなった」とオノダ=パワーは論じている(1)。

わたしはここでオノダ=パワーが挙げた、北米でmangaだと認識されている作品群の特徴を「北米におけるmangaというジャンルに対するアメリカ人の共通認識」だと言うつもりもなければ「mangaの定義」だと言うつもりでもない。人それぞれmangaに対する認識は異なり、誰もが納得するような定義付けをするのは不可能だ(2)。しかも言葉の意味は時代と共に変化する。

現実にオノダ=パワーがあげるmangaの特徴を持たなくてもmangaと呼ばれる作品は、探すまでもなく簡単に見つけることができる。前回「北米でマンガ(manga)は、異論はあるものの、”日本産のコミックス”または”日本産マンガの視覚的スタイルを持ったコミックス”のことを指す」(3)と簡単に説明したように、「ある特定の視覚的スタイル」を持っていれば、それが日本産でなくてもmangaと呼ばれる場合が数多くあるからだ。

21世紀に入ってからのmangaのブームを受けて、「日本産マンガの視覚的スタイルを持った非日本産コミックス」が出版されることも多くなった(4)。もともとmangaがは主に「日本産のコミックス」を指していたということもあり、「日本産」と「非日本産」を区別して呼ぼうとする人が増え、「非日本産manga」の呼称として「global manga」「world manga」「international manga」などが提唱された。現在一番定着していると思えるのが「Original English Language manga」通称「OEL manga」で、それは「英語で最初に出版されたmanga」を意味する(5)。つまりOEL manga自体は主にその絵柄が日本産mangaと似ているという以外、日本とは関係が無い(6)。そしてOEL mangaはmangaと対比して語られることもあれば、mangaの下位のジャンルを示す言葉として使われることもある(7)。いずれにせよOEL mangaという言葉はmangaというジャンルができた結果登場した、オリジナルの製作地(製作言語)を強く意識した新しいジャンルなのだ。



2に続く


1  京都精華大学国際マンガ研究センターの主催した第1回国際学術会議の論集「世界のコミックスとコミックスの世界――グローバルなマンガ研究の可能性を開くために」(2010年)の『「マンガ」という自明性――ガラパゴス島に棲む日本のマンガ言説』で小田切博が、『SF研究からみたマンガ/コミックス研究――ジャンル、トランスメディア、トランスナショナリズム』で鈴木繁が、同様に海外でのmangaがジャンルとして認識されている様子を論じている。
鈴木は特に、SF作家で批評家のサミュエル・ディレイニー(Samuel R. Delany)の提唱するジャンルの概念を援用してジャンルについて以下のように述べている。
「…ジャンルとは、その文化の参加者たち(マンガ家、読者、編集者、評論家、イラストレーター、コレクターたちなど)によって、共有され、維持され、そして、交渉されている「読みの手続き」を用意する点で、日本のマンガにも当てはまる。ここでいうジャンルとは、参加者たちがマンガ/コミックスというメディアに触れる際に利用する、コード、構造、そして期待の複合的な総体である。」(第1回国際学術会議論集「世界のコミックスとコミックスの世界――グローバルなマンガ研究の可能性を開くために」 77 – 78ページ)

http://imrc.jp/lecture/2009/12/comics-in-the-world.html
2 「…この定義は分類学的なジレンマにつねに晒されている。簡単にいえば、誰もが納得のいく、純粋な「マンガの定義」や純粋な「文学ジャンル」などは存在せず、常に異なるジャンルとの重複があり、その境界は曖昧であり、いかなる定義的陳述に対しても常に反証できる例が存在する。」(鈴木繁 同上 77ページ)
3 「日本産マンガの視覚的スタイル」とは何かはここで論じないこととする
4 例えばBen Dunnの創立したAntarctic Pressなど、80年代、90年代に渡って日本産マンガに影響を受けたスタイルを持つコミックスを商業的に発表していたところは実際に複数存在していて、「日本産マンガの視覚的スタイルを持った非日本産コミックス」が21世紀以降に初めて登場したわけではない。
5 「OEL manga」が「英語で最初に出版されたmanga」だからと言って、その作品の作者が英語圏出身とは限らない。OEL mangaであるか無いかは、純粋に「英語で最初に出版されたかどうか」で判断されるようだ。
6 前回も書いたが、非日本産の作品を mangaと呼ぶことに反対する意見は存在し、ファンの間ではその名称を巡ってしばしば議論が起こっている。
7 中国産の「manga」は「マンホア(manhua)」、韓国産の「manga」は「マンファ(Manhwa)」と呼ばれ、「OEL manga」同様に「ジャンル」を示す言葉として使われる場合が多い。