「HEROMAN」南雅彦プロデューサー インタビュー 企画誕生の秘密

「HEROMAN」
南雅彦プロデューサー インタビュー
「HEROMAN」企画誕生の秘密 

■ 南 雅彦 (みなみ・まさひこ)

1961年三重県生まれ。1983年、アニメ制作会社日本サンライズ(現サンライズ)に入社。「機動武闘伝Gガンダム」「カウボーイビバップ」などのプロデューサーを担当。1998年に逢坂浩司、川元利浩らとともに株式会社ボンズを設立。ボンズの代表取締役。

■『HEROMAN』
アメコミ界の巨匠スタン・リー原作、BONESがアニメ制作を手掛ける話題作。2010年4月からテレビ東京系で放映中。
『HEROMAN』公式サイト http://www.heroman.jp 
twitter http://twitter.com/heroman_jp/

テレビ東京系6局でテレビ放映中の『HEROMAN』は、いま一番の注目アニメのひとつだ。「スパイダーマン」や「X-MEN」を生み出したアメリカンコミックスの巨匠スタン・リーが番組のために新たな原作を提供、それを「鋼の錬金術師」や 「交響詩篇エウレカセブン」 など多くの人気作品を世に送り出してきたボンズがアニメ制作を行う。

『HEROMAN』を制作するボンズの南雅彦プロデューサーに、作品のプロジェクトがなぜ生まれたのか、作品の高いクオリティーはどうやって実現したのかを伺った。

■ 1泊3日、西海岸までスタン・リーに会いに行った理由

アニメ!アニメ!(以下AA)
最初に、『HEROMAN』がスタン・リーとの共同プロジェクトであることについて教えてください。アメコミ界の大物だけに、日本のプロダクションが直接ビジネスを行うことに非常に驚いたのですが、プロジェクトはどこから始まったのでしょうか。

南雅彦プロデューサー (以下南)
今回、『HEROMAN』の幹事をされているWowmax Mediaの海部(正樹)さんと彼がWOWOWでプロデューサーをやっていた時代から知り合いでした。海部さんがアメリカで法人をつくって、年に1、2度会って、情報交換をしていたんですけど、海部さんがアメコミのアニメーション制作の話とかを持ってきてくれたりするんです。けれど、もう出来上がっているアメコミの映像化はボンズが制作する作品とは少し違うかなと思っていたんです。
その中でスタン・リーが全く新しい作品を日本のアニメプロダクションと最初から組んでやりたいという話があると言われ、それに興味を持ちました。
当然スタン・リーという名前は知っていました。それとちょうどその頃海外、アメリカとかのアニメーションのコンベンションに行くようになっていた頃でした。

AA
コンベンションでの経験が影響していたということですか?


日本のアニメーションはアメリカでも人気があることを、視察も兼ねてゲストで行ったんです。その会場に来てくれるファンは非常に熱狂的でびっくりするぐらいの人気だったんです。
けれど、5万人という規模に逆に感じた部分がありました。それが多いか少ないかというと、多くはない。非常に熱狂的なファンは多いけれど、それ以上の広がりを日本のアニメーションが持っているのかというと、もうひとつ持ってないと感じてしまいました。
大きな広がりのある人気を持っていったのは『ポケモン』とか『遊戯王』というキッズ向けの作品であって、自分たちが制作しているハイターゲットで、オリジナル作品はやはり弱いなと思いました。

その弱い部分、受け入れられない部分がどこにあるんだろうと考えると、文化の違いとか宗教観の違い、そこからまず全然違うんだろうなと感じるところもありました。
じゃあ、それが理解できるのかというと、日本でアニメーションを作っている限り、たぶん、完全には理解はできないというのがあったんです。それをどう乗り越えていくのかと迷っている時期ではありました。

AA
その時にスタン・リーの話があったわけですね


アメリカンヒーローの生みの親スタン・リーは、ある意味アメリカの固まりみたいな人です。『スパイダーマン』とか『X-メン』をアニメーションにしてくれじゃなくて、そのスタン・リーの新しい作品を一緒にやろうというところなら、自分たちもたくさん学ぶこともできるし、自分たちが作っているアニメーションの枠を超えられる作品ができるんじゃないかと考えました。それが最初です。

だから、「じゃあ、会いに行きます」と1泊3日でアメリカまでスタンに会いに行きました(笑)。取りあえず話を聞かせてくれと。

■ 丸2年でかけて作った「HEROMAN」

AA
日本のプロダクションが海外と共同制作するときに、日本らしさがなくなってしまうことが大きなリスクかなと思います。でもそれはむしろそれは超えるべきものだったというわけですね。


もともとあるアメコミヒーローを日本のアニメーションで制作するのであれば、向こうの文化のものを作るというだけの行為になります。今回はいちから一緒に作っているので、我々が作ってきた日本のアニメーションは方向として出します。それに対してスタンが、「いや、違うぞ」とか、「これはグッドだ、エクセレント」とかミーティングを重ねていきました。

そうした本当のキャッチボールをしながら、モノを作る環境が、これまでの合作とは違う作品はなっていると思います。だから、日本のアニメーションでもあるし、アメリカでも受け入れられるヒーローになっていると思います。

AA
具体的にはどこが違ったんですか。スタン・リーから得たものは、どういった部分でしょうか。


得たものはたくさんあるんですけど、たぶんそれが言葉になるのであれば、学ばなくていいというのもあります。ただ、フィルムのそこかしこにスタンが入っていますね。例えばヒーロー像のとらえ方は、スタンの持っている中心の部分ですよね。

AA
面白いなと思ったのは、ヒーローマンはいわゆるアメコミスタイルの変身物ではないし、かといって日本スタイルのロボットに乗るわけでもない。中間的なところにあります。


「HEROMAN」を日本的なとらえ方をすると『鉄人28号』や『ジャイアントロボ』となりますが、スタンは全然気にしていなかったですね。「操っているのではないんだ、コミュニケーションを取っているんだ」と言います。

ジョーイが持つものをコミュニケーターと呼んでいるのは、そういうことなんです。また意思があるロボットだけれども、成長するロボットという扱いでもある。ロボットと一言で言うのが正しいのかどうかも、分からない存在ですね。

AA
ロボットは取りあえず意思がないというのが前提ですから、コミュニケーションとはまた違いますよね。


もともと、おもちゃのロボットを直してそのおもちゃがヒーローマンになったので、ロボットという扱いではあるんですけど。本当にロボットなのかどうかも分からないですね。

AA
最初にPVを観た時に、動きがとんでもなく素晴らしいものになっていました。『HEROMAN』は全編あれと理解して宜しいでしょうか。


全編これになっているんですよね。

AA
すごいですね。


いまは2010年ですね。2005年10月にスタンに会いに行っているんです。その後、まずパイロットフィルムを作り始めました。2006年からSkypeとかを使いながらデザインやストーリーでスタンとのミーティングを重ね、2007年3月にそれが完成しました。その年の7月のコミコン(サンディエゴ・コミコンインターナショナル)で直接スタンとミーティングをして、2008年4月ぐらいに本編の制作に入りました。

AA
制作開始からもう丸2年ですね。


丸2年です。丸2年かけて作品を作ってしまったので、かなりのものになりました。アクションはどんどんエスカレートしていくんですね。特にラストの方は大変なことになっていますのでお楽しみに。

■ 「HEROMAN」はやるべき作品だった

AA
ボンズさんが非常に不思議だなと思うのは、ヒット作がたくさんある一方で、常にチャレンジャブルな作品があります。スタジオのジャンルづけはあまりないとことですけど、チャレンジ精神は特徴かなと思います。
例えば、今回のようなプロダクション中心の海外共同制作はあまりない気がします。プロダクション自らが乗り込んで行くのはあまりないですし、しかもそれがボンズさんというのはすごく驚きました。


作品を進めて行く中で、『HEROMAN』はやるべき作品だったというのは、確信に変わっていました。どんどんアメリカの市場が変化してきていますし、日本のアニメーション市場をジャンル的には狭くなってきている。この時期にこの作品を世に出すことは、業界全体としても大事なことじゃないかなと思います。

AA
海外というのは、早い時期から意識されていたのですか。


前に所属していたサンライズのときから意識していましたね。上司にも言われていました。そしてやはり『カウボーイビバップ』が海外で非常に人気があったことを肌で感じたのは大きいとは思います。こうやって作品が海外に受け入れてもらえるんだと。

ただサンライズにいた頃は、合作があまり好きではなかったんです。視聴者の方の顔が見えない物づくりをしていくというのは、それが自分には合わないなとは思っていました。でも日本で作ったものが外に出ていく快感みたいなものはありました。ただその先も考えていかなければいけないんだろうなとも思っていました。
その時にバンダイエンタテインメントの彌富(健一)氏と会って、いろいろ話を聞かせてもらって、考え方が海外へも向けられるようになってきたというのもあります。

AA
それでもやはり分からないのが、『カウボーイビバップ』にしても、やはり海外で人気となった『天空のエスカフローネ』、あるいはその後の『鋼の錬金術師』でも、日本向けで作ったものが、そのまま海外でヒットしました。
そういう実績があると、普通の人は保守的になって、じゃあ、日本で作ったままでいいと思いがちのような気がします。そこでなぜ海外向けに作るべきと思ったのですか。


いや、ヒットと言ってもそんなにあるわけではない。一番数字が大きいのは『カウボーイビバップ』だと思うんですけど、10年以上かけての数字です。

AA
逆に言うと10年たっても外国人が見て耐え得る作品だったわけですよね。


そうですね。世代を超えてきているのかな。素晴らしいですね。でも逆にそれでもチャレンジしていかないとだめだとは思っているんです。飛び出していくという行為はやっていかないと、見えない事が多すぎる。それぐらいの努力はしなきゃだめでしょうというのがあります。

AA
今、さらりと言われたんですけど、みんな必要と分かっていてもなかなかその一歩を踏み出せないのが今の日本の状況かなとも思います。


ビジネスでいうと、『NARUTO』や『ONE PIECE』などがすごく積極的にやられている。自分たちのコンテンツをより広く海外に広めていくために、いろいろなことをしかけていますよね。あれも素晴らしいなと思っています。
じゃあ、一プロダクションがあそこまでできるかというと、実は出来ません。プロダクションができるのは、作品を作ることです。作品を生み出す行為で、どういうことをやっていくかですよね。

■次のページ アメリカではリナはバスに乗らない?へ続く