藤津亮太のテレビとアニメの時代 第17回 ’80年代後半の再放送枠減少

藤津亮太のテレビとアニメの時代 
第17回 ’80年代後半の再放送枠減少

藤津亮太
1968年生まれ。アニメ評論家。
編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

 今回は’80年代にTVの再放送枠がどのように変化したかについて考えたい。
 ’80年から’89年の10年間、平日(月~金)の16時から19時までの3時間にどんな番組が放送されていたかをアニメを中心に2枚の表にまとめた。

80年代前半平日(月~金)16時から19時までの放映番組一覧

80年代後半平日(月~金)16時から19時までの放映番組一覧

*上記画像クリックで表拡大

 夕方の放送時間帯は。スポーツ中継や特番などで通常放送と異なる場合があり、現状で精査し切れず「?」とせざるを得ない部分もあるが、大きなトレンドはつかめるはずだ。

’80年春  35本/週
’84年秋  39本/週
’87年秋  19本/週
’89年秋   8本/週

 こうしてみると’84年と’87年の間にまず大きな変化があったことがわかる。
 番組表を見るとこの大きな変化は、’85年の『夕焼けニャンニャン』(フジ)の放送開始である。
 『夕焼けニャンニャン』は、高校生などをターゲットにしたバラエティ番組で、おニャン子クラブというアイドルユニットを輩出するなど、’80年代を象徴するTV番組のひとつだ。。
 『夕焼けニャンニャン』が’85年春に1 7時から放送されると、’84年まで同時刻にアニメを編成していたテレビ朝日はアニメの再放送をとりやめ、ドラマの再放送へと転じる。これだけで10本/週のアニメが減ったことになる。テレビ朝日はこれ以降、夕方のアニメ再放送を行わなくなる。
 だが、’80年代の夕方再放送の変遷を見ると、大きな節目といえるのはこのテレビ朝日の再放送枠消失ぐらい。番組表を見ると、夕方再放送枠の減少は、むしろ’80代後半を通じて、各局が少しずつ脱アニメ再放送へとシフトすることで起きていることがわかる。
 たとえばフジテレビは’86年までは16時台をアニメの再放送枠と位置づけてきたが、’87年からそのポジションはゆらぎ始め、アニメもそれまでの2階建て(30分番組×2本)から1階建てになったりしつつ、’88年にはバラエティ番組の再放送や映画放送枠になる。
 ’89年にフジがアニメの再放送をやめると、もとからアニメの再放送をしていないTBS、’85年に退いたテレビ朝日に加えて、民放5局のうち3局から再放送枠がなくなることになった。
 日本テレビは、17時~18時30分の1時間半の中でアニメを2~3本再放送するのが基本だったが、’88年春に『それゆけ!アンパンマン』を放送開始すると、『アンパンマン』と再放送の2本立てという形にする。この日テレの17時30分からの再放送枠が、テレビ東京以外で、最後まで残ったアニメ再放送枠になる。
 テレビ東京は、他局がニュースに力を入れる18時台に再放送を編成していたが、こちらも2階建てから、1階建てへと変化している。テレビ東京の場合、アニメとほぼ同じ小学生をターゲットにゲーム番組やラジコン番組などのホビー番組を編成していたのも特徴といえる。
 アニメの再放送枠は再放送を含むバラエティ、あるいはこちらも再放送を含むドラマへと転換している場合が多い。

 前回と合わせて考えればわかるように、「プライムタイムにアニメが放映され、夕方に再放送がある」という状況は、’80年代後半にはほぼ崩壊してしまったのである。
 ’70年代前半に始まった、一種のアーカイブ、TV名画座としての再放送が、ビデオデッキが普及していく’80年代後半になくなっていくというのは非常に示唆的である。
 そしてこのTVの中でアニメがかつてほどの地位を占められなくなったこの時期が、アニメにマニアックな匂いをそれまで以上に付加することになったのではないか。

 次回も’80年代後半の再放送枠について考えます。