藤津亮太のテレビとアニメの時代 第15回 “アニメ冬の時代”へ

藤津亮太のテレビとアニメの時代 
第15回 “アニメ冬の時代”へ

藤津亮太
1968年生まれ。アニメ評論家。

編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。
ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

 前回に続き’84年秋から’87年秋までの民放におけるアニメ番組の状況を表にまとめてみた。
 前回、ハイターゲット作品の比率が’83年にピークとなり、’84年にその数が減っているという状況を確認した。
 その大きな原因は、プライムタイムに編成された「ラブコメ作品」の視聴率不振と、夕方を中心に編成された「ポスト・ガンダムのロボット作品」の営業的不振のダブルパンチだった。
 では、その後のハイターゲット作品の推移を見てみよう。


84年秋から87年秋までのアニメ番組の変遷
*上記画像クリックで表拡大

■1984年秋
総本数:36本/ハイターゲット作品:15本
ハイターゲット率:41.6%

■1985年春
総本数:30本/ハイターゲット作品:10本
ハイターゲット率:33.3%

■1985年秋
総本数:31本/ハイターゲット作品:11本
ハイターゲット率:35.5%

■1986年春
総本数:32本/ハイターゲット作品:8本
ハイターゲット率:25%

■1986年秋
総本数:31本/ハイターゲット作品:7本
ハイターゲット率:22.5%

■1987年春
総本数:32本/ハイターゲット作品:10本
ハイターゲット率:31.3%

■1987年秋
総本数:29本/ハイターゲット作品:10本
ハイターゲット率:34.5%

 まず放送総本数が’85年春にさらに一団落ち込み、’87年までは30本前後で推移している。
 ハイターゲット作品率は、’85年春に40%台を切って30%台前半まで落ちると、’86年秋には22.5%と最低を記録。’87年に回復するが30%台前半に止まっている。
 このように数字の面から見れば、’77年に始まったブームは、’83年の頂点を経て、’85年春には完全に終わったということができる。

 ’82年に成立した「夕方枠オリジナル企画」と「プライムタイム原作付き」の構図にあって、マイナーな「夕方枠オリジナル企画」のほうがアニメファンの嗜好に最適化した企画を送り出してきた。その構図が’84年に崩れ、夕方枠は数が減り、残った作品も子供向けへと回帰し、「プライムタイム原作付き」は一部の人気作品のおかげでハイターゲット路線を守ることができた、というのがこの時期の状況だ。
 夕方枠の変化を端的に現しているのは、日本テレビ金曜日17時30分枠。’84年にはSFファンタジー世界が舞台の『機甲界ガリアン』で善悪の相対化も含むドラマを展開したが、’85年には勧善懲悪を前面に出した『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』を編成した。
 翌年には『マシンロボ クロノスの逆襲』もテレビ東京木曜19時30分から放送。
 どちらの作品も現実の乗り物から変型するロボット」がセールスポイントで、善悪の区別の明確。ポスト・ガンダム作品に多かれ少なかれあった、ミリタリズム、善悪の相対化、青春ドラマ性といったものはほぼなくなっている。『マシンロボ』については、主人公ロムとその妹レイナのキャラクター描写に、ファンへの目配せがあったが、あくまでそれは味付けの範囲に止まった。

 その一方で原作付きでは『北斗の拳』『めぞん一刻』『タッチ』『聖闘士星矢』といった人気作が登場。それぞれに人気を集めたが、アニメシーンを浮上させるほどのムーブメントには至らなかった。
 漫画原作付きは、出版社が異なるためアニメ誌で大々的に特集を組むことができないという事情がまずあった。だが、それ以上に、アニメブームを盛り上げてきたファンがアニメに求めているもの(それはアニメ的な文脈で形成された美形・美少女キャラから、SF・ファンタジー的な設定の壮大さまで千差万別ではあるが)と微妙にズレていたことはそれ以上に無視できない。
 マニア層への人気というとこの時期では『キャプテン翼』から『聖闘士星矢』に連なる、女性ファンの盛り上がりも無視できないトピックだが、同人誌などを舞台にしたこの盛り上がりを支える層が「市場」として発見されるのはもう少し後で、TVアニメに影響を与えるほどの状況には至っていない。

 数字の上ではアニメブームを支えてきたファンに向けた作品が激減しているのに対し、アニメブームを象徴するフラッグシップ的なタイトル『機動戦士ガンダム』シリーズや『うる星やつら』が、まがりなりにも継続していたために、当時のファンから見ると’85年にアニメブームが終わったとは見えなかったかもしれない。
 ファンがむしろ終わりを実感するのはアニメ誌、’86年から’87年にかけて「マイアニメ」「ジ・アニメ」「アニメック」の3誌が休刊したころであったと思われる。そういう意味で、数字と実感をすり合わせるなら、’85年は「終わりの始まり」で、’87年に向けて「アニメブームの残り火が消えていった」というふうに捉えることもできるだろう。
 ややファンの動向に紙幅を割いてしまったがいずれにせよ、’85年から’87年の時期は、TVアニメ再編が進行していた時期であり、それはアニメブームが終わったところで、もう一度玩具セールスなり視聴率なりでビジネスを確立しようと探る動きであった。この時期あたりが当時のブームを支えたファンから俗に「アニメ冬の時代」として回想されるのは当然といえる。
 こうしたハイターゲットの受け皿として、OVA市場が(バブル経済の金余りを背景に)伸びていくのだが、それはまた別の話である。
 次回は’80年代終盤の様子を俯瞰して’90年代に繋がる要素を探してみたいと思う。