北米のマンガ事情 第25回 「アメリカのコミックス市場で存在感を増すクリエイター・オウンド作品」 中編

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第25回
「アメリカのコミックス市場で存在感を増すクリエイター・オウンド作品」‐中編‐

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』『ブラック・ホール』『デイトリッパー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

Gree_Lantern&Green_Arrow:ニール・アダムスの代表作
Gree_Lantern&Green_Arrow:ニール・アダムスの代表作

<権利を求めるクリエイターの戦い>

作者が作品に権利を持てない状況は、昔からライターやアーティストにとって大きな不満の種となってきた。例えば、新しいキャラクターを生み出してもそのキャラクターに対する権利を持てない、またはほんのわずかな権利しか持てない。自分の描いた絵でも会社の所有するキャラクターを描いた場合好きなように使えない、またはその絵を使って商品が作られてもロイヤリティをもらえない、描いた原稿は会社の所有物となってしまう、等々。

1938年にデビューして以来、世界で最も成功したキャラクターのひとつスーパーマンを創造したジェリー・シーゲルとジョー・シャスターのケースはあまりにも有名だ。当時20代前半だった二人はこのスーパーヒーローに対する権利をたった130ドルでDCコミックスの前身National Allied Publications社に売り渡したとされ、長い間同社から一切の権利を認められなかった。
1975年に二人は一部の権利を取り戻すが、二人とその家族は(二人が亡くなった後は二人の遺族が)その後もDCコミックスとその親会社を相手どって、スーパーマンのプロパティをめぐり長きに渡る法廷闘争を繰り広げることになる。

シーゲルとシャスターのケースが表面化し問題とされたのは70年代に入ってからだが、権利を求めるクリエイターの戦いは業界が誕生した時から始まっていた。1930年代にコミックブックが誕生する以前は、アメリカでコミックスと言えば、新聞に連載されるコミック・ストリップだった。当時、コミック・ストリップのクリエイターにはスタジオに所属したり新聞社から直に仕事を受けたりするなど、給料を受け取って定収入を得ている人も多かった。
1930年代に入り、コミック・ストリップをまとめた小冊子であるコミックブックが発売されて多くの読者を獲得すると、出版社は需要に応えて制作ペースを上げる必要に迫られた。そこで、コミック・ストリップを手がけていたクリエイターの中には、コミックブックへと仕事を移し、スタジオを離れて出版社と直接仕事をする者も現れるようになった。クリエイターにとって、そのほうがスタジオに中抜きされずに高い原稿料を得られたからである。
しかし逆に、フリーランスで仕事を受けると、定収入はなくなり退職金や社会保障も得にくくなる。社会的・文化的に地位が低いと見なされていたコミックブックのクリエイターたちは、収入的にも不安定な立場に陥ることになった。

50年代以降になると、コミックブックのクリエイターが集まって組合もしくは協会を作り、その組織がクリエイターの代表として、自らの制作物に対する権利や原稿料の値上げなどを要求する試みが何度か行われた。しかし、そのほとんどが短期間で失敗に終わっている。失敗の理由のひとつには、出版社からの圧力があった。その組織に入るクリエイターに対して仕事を与えない、または仕事を取り上げるということが行われたのである。その他の理由としては、個々のクリエイターの職業的背景があまりに多様だったことが挙げられる。それぞれのクリエイターのキャリアや収入は様々で、目標やモチベーションも異なり、組織としてまとまって集団行動をとるのが難しかった。
人気アーティストのニール・アダムスにより1978年に設立された「コミックス・クリエイターズ・ギルド Comics Creators Guild」は設立からほぼ1年で活動を休止。『セレバスCerebus』の作者デイブ・シム Dave Simが呼びかけ『マンガ学』のスコット・マクラウドが草稿を書き、多くのクリエイターの署名入りで1988年に発表された「クリエイターズ・ビル・オブ・ライツ Creator’s Bill of Rights」(クリエイターの権利を記した宣言書)も、クリエイターの権利向上に対しては実際の効力をほとんど持たなかった。

クリエイターたちによる団結は実を結ばなかったが、それでも変化は徐々に表れていた。前述のスーパーマンのシーゲルとシャスターのケースは、クリエイターの権利を求めて積極的に動いていたニール・アダムスが、貧困に苦しむ2人を救うために運動し、DCコミックスを動かした結果である。1976年にはアメリカの著作権法が改正され、オリジナル作品の制作者に自動的に著作権が付与されるようになると、大手2社はその法改正への対応として、各クリエイターに著作権を放棄する契約書にサインを求めるようになるが、1981年には少ないながらもクリエイターに印税を渡すようになった。
1987年には、マーベルは原稿の作者を原稿の所有者だと認め、ジャック・“キング”・カービーと、同じく原稿返却を要求していたアダムスにオリジナル原稿を返却した。(余談だが、これ以降アメリカのコミックス業界で働くアーティストが自分のオリジナル原稿を売却し、副収入を得ることが常態化する。)

そもそも、出版社が長い間クリエイターの不満に耳を貸さずにいられたのは、アメリカのコミックス業界では「読者はキャラクター目当てでコミックスを買う」と信じられていたからである。
つまり、ストーリーや絵柄は重要ではなく、コミックスの魅力は「キャラクターありき」であり、スーパーマン、バットマン、スパイダーマン、Xメンと言ったスーパーヒーローのキャラクターこそがコミックスにとって何よりも重要で、誰が作ろうと作品の人気には関係ないと思われていた。

その考え方に変化が見られ始めたのが、80年代。大手2社がクリエイターに印税を認めだした頃である。しかしクリエイターにとって、その変化はまだ十分ではなかった。特に、自分の絵の魅力で数百万部ものコミックブックが売れたと考える人気アーティストにとっては。

1992年、マーベル社で働く人気アーティスト7名が待遇を不満として結束し、同社を飛び出しイメージ・コミックスを設立する。それは当時、マーベルのコミックブックの発行部数記録を次々と塗り替えていた人気アーティストたちによる反乱であり、22年を経た現代に至るまで、アメリカのコミックス業界では天地を揺るがす大事件だった。