北米のマンガ事情 第20回 海外のマンガ賞:「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画賞」 後編

 

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情
第20回
「海外のマンガ賞:「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画賞」」 PART3

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

 

■ アングレーム国際漫画祭賞

1. 「アングレーム国際漫画祭」設立の経緯

「アングレーム国際漫画祭」とその賞の設立に、フランスで「ベデフィル第1世代」と呼ばれるマンガ愛好家たちの活動が大きく関わっていたことは既に書いたが、この活動は主に1962年に非営利団体として設立された「バンド・デシネ愛好会(Club des Bandes Desinèes)」(以下CBD)に遡る。

フランスでのマンガの振興に大きな影響を与えることになるこの会は数年後ふたつ(SOCERLIDとCELEG(6))に分裂するが、それらの会の活動はファンのためのイベントを行いファンや業界間の交流を楽しむ場を作るよりも、マンガの研究や展示を優先していた。
“展示、”特に美術館における“展示”は、美術の文脈にマンガを持ち込むことで、ある種の権威をその展示品にもたらす。SOCERLIDによる有名な展示は、1967年にルーブル美術館という世界最大級の美術館の敷地内にある装飾美術館で行われ、大成功を収めた「マンガと物語的具象派展」。その展示カタログは今でもマンガ研究の先駆的成果として高い評価を受けているようだ。

1971年にはCBDの初代会長だったフランシス・ラカッサン(Francis Lacassin)が『第九芸術のために』(Pour un 9e art: la bande dessinèe)という本を上梓し、マンガを9番目の芸術とするこの言葉の普及に貢献した。同年には、分裂したふたつの会のメンバーの中から大学でマンガの歴史を教える人も出るなど、フランスにおけるマンガの社会的認知の高まりの萌芽が見られるようになる。

アングレーム市の文化・社会担当の評議員も務めたフランシス・グルー(Francis Groux)は、このベネフィルたちと同世代で、彼らと交流もあった。
60年代後半からアングレーム市が主催するマンガのイベントや展示を企画していたグルーは、SOCERLIDの会長であったクロード・モリテルニ(Claude Moliterni)と共に展示「1000万枚のイメージ―BDの黄金時代(Dix millions d’images: l’âge d’or de la Bande Dessinèe)」を1972年に行った後、アングレームで国際的なマンガのフェスティバルを行う案を、モリテルニに相談する。その結果、SOCERLIDも運営に関わっていたイタリアの「ルッカ国際マンガ・サロン」(現「ルッカ・コミックス&ゲームス祭」(Lucca Comics & Games)のフランス版の開催が決定。1974年に市の公式行事「アングレーム国際マンガ・サロン」として行われ、1万人を動員した。このイベントが後に「アングレーム国際漫画祭」と名称を変え、成長していく。

余談だが、その後フランスの政権交代が起こり、ジャック・ラカンが文化大臣になると、ラカンはサブカルチャーの文化的承認を高める政策を打ち出し、文化省が同フェスティバルに資金援助を行うこと、そして国立のマンガセンターの設立を提言する。1990年、提言通り「マンガのイメージの国立センター(Centre National de la Bande Dessinèe et de l’Image, CNBDI)」が国立のマンガセンターとしてオープン。後に美術館法改正による組織形態の変更で「マンガとイメージの国際都市(Citè Internationale Bande Dessinèe et de l’Image, CIBDI)」と名前を変えて現在に至っている。

「アングレーム国際マンガ・サロン」第1回終了後、グル―は市からの独立性を求めて、フェスティバルを運営する非営利団体「国際漫画祭協会」を立ち上げる。現在でもこの団体が「アングレーム国際漫画祭」の主催(実際の運営は私企業に委託)だが、フェスティバルの収入の自己調達分は、スポンサーからの資金提供、チケット代、ブース料などの40%弱に留まり、残りは国や市からの公的援助となっている。

全体の予算は350万ユーロ、1ユーロ80円として日本円でおよそ2億8千万円。来場者の規模では「サンディエゴ・コミコン」と共に20万人程度とあまり変わらないが、「サンディエゴ・コミコン」の年間収入の規模と比べると、「アングレーム国際漫画祭」は予算で3分の1強しかない。

筆者は残念ながら「アングレーム国際漫画祭」に行ったことはないが、複数の知人に確認したところフェスティバルで行われていることは基本的には「サンディエゴ・コミコン」と変わらないが「アングレーム国際漫画祭」は商業的色合いが薄く若干落ち着いたムードのお祭りだということだ。しかし、小さい街であるアングレームもサンディエゴ同様、期間中は街全体がフェスティバル一色に染まる。

2. アングレーム国際漫画祭賞

「アングレーム国際漫画祭」と同時に設立された「アングレーム国際漫画祭賞」は、「アイズナー賞」が「オスカー」と呼ばれるように、フランスのマンガにおける「カンヌ映画祭」の「パルムドール賞」とも呼ばれてきた。

賞の種類は創立以来何度も変更されているが、「アイズナー賞」と違って、最優秀作品、最優秀シリーズ、新人賞、過去作品の新装版など、カテゴリー分けがわかり易く、一部の賞を除いて、専門家らによる審査委員のグループが受賞作を決定する。
特徴があるとすると、その生涯の業績に対して送られる「功労賞(グランプリ)」を取った作家が自動的に翌年の「アングレーム国際漫画祭」の審査委員長に任命されるところか。

「アイズナー賞」では、アメリカ以外で初出版された作品の翻訳版を対象に、「海外作品部門」「アジア作品部門」があり、海外作品が「最優秀作品賞」に該当する賞を取ることはない(7)。
しかし「アングレーム国際漫画祭」では特に海外作品のためのカテゴリーは恒常的には設けられていないため、基本的にはフランスもしくはフランス語圏のベルギーの作品が圧倒的に多く賞を取っているものの、「最優秀作品賞」が海外の賞を取る可能性は否定されていない。

「アングレーム国際漫画祭」自体が、フランスのマンガの芸術性を信じ、その社会的認知向上を目指して活動してきた人達の手によって、市の公式行事として始まったものであるため、受賞作には当然のように「第九芸術」としての芸術性・文学性の高さが求められてきた。
設立当初から審査においては、商業的に成功し一般読者に人気がある作品と、実験的な作品などの批評家の評価が高い作品との間のバランスが模索されてきたが、やはり大衆的な作品は選ばれにくいとの指摘もしばしばされているようだ(8)。

■ 2つの賞の違い

今まで見てきたように、2つの賞の成り立ちはそれぞれの国が「マンガ」という大衆文化とどう向き合ってきたかをあたかも象徴するような違いを見せている。
「アングレーム国際漫画祭」の設立にかかわった「BDフィル第1世代」とその後の世代の違いが指摘されることはあるもの、その成り立ちそのものが、フランスにおけるマンガというメディアの社会的認知の高まりの歴史的過程を示し、フェスティバル開始と同時に始まった「アングレーム国際漫画祭賞」はその社会的認知の象徴のひとつと言うことができるだろう。

一方で、「アイズナー賞」を運営する「サンディエゴ・コミコン」はファン自身がファン同士や業界との交流を目指して立ち上げたコンベンションであり、「アイズナー賞」のスポンサーになったのは業界の売上(この場合、コミックブックとその単行本であるTPBの売上を指し、新聞マンガは含まない)のほとんどを占める「スーパーヒーロー」作品を扱うファン向けの雑誌であった。
そして例年スーパーヒーロー作品が数多く受賞し、その受賞作のリストはマンガ業界とファンの嗜好や売上など実際の市場を直接反映してきている。更に「サンディエゴ・コミコン」は、宣伝の場、ビジネスミーティングの場としての役割が増加したことで、作家だけでなく業界との直接の結びつきが一層強い巨大イベントになった。

「アイズナー賞」の前身である「カービー賞」が「サンディエゴ・コミコン」設立の15年後(1985年)にコンベンションとは関係無く始まり、「アングレーム国際漫画祭」の賞がフェスティバル設立と同時(1974年)に開始されたことも、もともとのイベントの性格の違いを表している。

そして「アングレーム国際漫画祭」は近年商業的になってきたとよく言われるものの、あくまで「第九芸術」としてのマンガに焦点をあて、その芸術性を讃えるイベントというアイデンティティを固持し続けているのに対して、「サンディエゴ・コミコン」は扱う対象範囲をアニメーション、玩具、ゲーム、映画、テレビドラマ等々と拡大し、マンガの存在感が年々減少していると嘆く声もあがっているほどである。

しかし今年の「アイズナー賞」の受賞作には変化が見られた。例年受賞作の大半を占めるスーパーヒーロー作品の数が例年の半分ほどに減ったのである。近年顕著となっている作品の多様性を反映しているのか、それとも今年は偶然そうなっただけなのか、批評家やライターの間でも意見が分かれているが、以前に比べるとマンガというメディアの可能性に、従来のマンガ愛読者以外の人々が気づいてきたという点で多くの人が意見の一致しているようだ。

翻って、恐らくマンガを世界で一番消費している国・日本ではどうだろうか。マンガに特化したイベントと言うと、1972年に「アメリカのコミック・コンベンション形式のまんが大会」である「第1回日本漫画大会」がマンガファンによって行われ、その3年後の1975年に「コミックマーケット」通称「コミケ」の第1回となる「まんがファンジンフェア」が開催された(9)。これは「サンディエゴ・コミコン」の5年後、「アングレーム国際漫画祭」の1年後である。

ただし「コミケ」は(今では企業ブース等があるものの)基本的に同人誌の即売会であり、今回記事で取り上げた2つのイベントとはかなり性格が異なるため、3者による比較は難しい。とは言え、1970年から1975年というたった5年の間にアメリカ、フランス、日本というマンガ文化の盛んな3か国で現在では巨大になったイベントの第1回がファンの手によって行われというのはとても興味深い。国境を超えて俯瞰できるマンガ文化に対して更なる研究が待たれるところだ。

前編 http://www.animeanime.biz/archives/18670
中編 http://www.animeanime.biz/archives/18684

(6)SOCERLID 図像文学の研究及び調査民事会社 (Sociète Civile d’Ètudes et de Recherches des Littèratures Dessinèes)
CELEG グラフィック表現文学研究センター (Centre d’Ètudes des Littèratures d’Expression Graphique)
(7)「アイズナー賞」と同じく「サンディエゴ・コミコン」で授賞式が行われる作家に対する功労賞「インク・ポッド賞」には国際部門はないため、例えば日本からは手塚治虫を始め、大友克洋、萩尾望都等が他のアメリカ人作家と並んで受賞している。
(8)“Au festival d’Angoulème, les rècompenses viscent juste.” January 31, 2013
http://www.lefigaro.fr/bd/2013/01/31/03014-20130131ARTFIG00387-au-festival-d-angouleme-les-recompenses-visent-juste.php
(9)霜月たかなか『コミックマーケット創世記』朝日新聞出版 2008年、p.58