北米のマンガ事情 第20回 海外のマンガ賞:「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画賞」 前編

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第20回
「海外のマンガ賞:「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画賞」」 PART1

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

 

コミックスを対象にした米国のアワードでは最も知られているアイズナー賞
コミックスを対象にした米国のアワードでは最も知られているアイズナー賞

このコラムが掲載されている「アニメ!アニメ!」では、近年しばしば海外のマンガの賞である「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画祭」での日本マンガの受賞がニュースとなってきた。例えば「アイズナー賞」では今年、2011年に続いて浦沢直樹の『20世紀少年』がアジア作品部門で受賞し、「アングレーム国際漫画祭」では日本作品としての選出はなかったものの、同フェスティバル40周年記念特別賞として、『ドラゴンボール』の鳥山明氏が選ばれ、複数のサイトでニュースになっている。

毎年7月中旬頃にアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴで行われる「コミコン・インターナショナル・サンディエゴ(Comic-Con International San Diego)」通称「サンディエゴ・コミコン」と、毎年1月末頃にフランスのアングレームで開かれる「アングレーム国際漫画祭(Angouleme International Comics Festival)」でそれぞれ発表されるこの2つの賞は、米仏で最も権威があるというだけでなく、マンガ賞として世界でもトップの知名度を誇る。しかし両賞の設立の経緯は違い、賞としての性格も異なっている。

今回のコラムでは、「アイズナー賞」と「アングレーム国際漫画祭賞」という2つの賞の設立の経緯に焦点を当て、比較をしながらそれぞれの賞の概要を解説してみたい。

その前にひとつ。今回のコラムでは日本、アメリカ、フランスの個々の国に限定されない「マンガ」(=「連続的芸術」sequential art)メディア全般を「マンガ」という言葉で表す。それぞれの国の作品に限定して示したい時はそれぞれ、「日本のマンガ」、「アメリカのマンガ」、「フランスのマンガ」で表すことにする。

■ 前史

成り立ちも性質も違う2つの賞だが、それぞれの賞の母体となっているマンガのイベント(「サンディエゴ・コミコン」と「アングレーム国際漫画祭」)の歴史を見てみると、米仏の両国で同じメディアを愛した人々によるファン活動にまで遡ることができる 。

「アイズナー賞」の主催である「サンディエゴ・コミコン」は1930年代から活発化したSFファンの活動を背景にSFやマンガの愛読者を中心とするグループが始めたものである。一方、フランスの「アングレーム国際漫画祭」もその背後には「ベデフィル(マンガ愛好家)第1世代」(“ベデ”とは「BD」とも表記し、「バンド・デシネ」の略称である)とも呼ばれるマンガ好きの人々の活動があった。特に興味深いのは、「ベデフィル第1世代」の人たちが主に好んだのは母国フランスのマンガではなく、彼らが幼い頃にちょうどフランスに輸入され始めたアメリカのマンガだったことである。

この時期、世界中でマンガの愛読者は同時にSFファンでもあり、SFやファンタジー等を愛するファンは、マンガ、文学、映画などのメディアをまたがり、世界各地で行われるSFのコンベンション「ワールドコン」などを通して国境を越えたファンダムを形成していた。とは言え「サンディエゴ・コミコン」と「アングレーム国際漫画祭」を立ち上げた人々の間に直接交流があったと示唆したいわけではない。それぞれの立ち上げの主要なメンバーには同世代の人もいたが、恐らくちょうどこの頃、日本も含む世界中でメディアやジャンルに愛情を注ぐファン活動が盛んになり始めていた時期なのだろう。

アメリカのサンディエゴで「サンディエゴ・コミコン」の前身「サンディエゴ・ゴールデン・ステート・ミニコン(San Diego’s Golden State Comic-Minicon)」が初めて行われたのは1970年。フランス・アングレームで「アングレーム国際漫画祭」の前身である「アングレーム国際マンガ・サロン」が開催されたのは1974年。マンガという同じメディアの振興を目指して設立された両イベントだったが、それぞれの目指す方向は異なっていた。

サンディエゴ市への経済効果も大きいコミコン
サンディエゴ市への経済効果も大きいコミコン

■ アイズナー賞

1.「サンディエゴ・コミコン」と「コミコン・インターナショナル」

「マンガのオスカー」とも呼ばれる「アイズナー賞」の成り立ちを語るには、まずその賞を主宰するコンベンションである「サンディエゴ・コミコン」と、その「サンディエゴ・コミコン」を運営する団体「コミコン・インターナショナル」について書かなければならない。アメリカではベトナム戦争に対する反戦運動が高まりを見せ、ヒッピーなどのカウンターカルチャーが広がりを見せている最中の1970年、サンディエゴに住むマンガ、SF、ファンタジー好きの仲間が、その地で初のマンガのコンベンションを開くことを思いつく。中心メンバーはSFファンとして知られたライターやマンガ専門店経営者、そして10代の学生など全部で5人。中には別の地域でSFコンベンションを運営した経験を持つ者もいたが、それ以外はほぼ全員がコンベンション運営については素人だった。

1970年3月に最初のコンベンションとして行われた一日限りのイベント「サンディエゴ・ゴールデン・ステート・ミニコン(San Diego’s Golden State Comic-Minicon)」の参加者は100人。その後は業界の大物アーティストを呼ぶなどして徐々に規模を拡大していき、2度の名称の変更を経て現在の名称「コミコン・インターナショナル・サンディエゴ(Comic-Con International San Diego)」を名乗るようになったのは1995年。設立からほぼ40年経った今では4日間のチケット売上数で13万人、実際の来場者数はマスコミや関係者を含めると20万人を優に超えると言われる一大イベントとなった。

現在期間中には600を超えるイベントが行われ、ハリウッドの人気俳優がゲストに訪れることも珍しくない。町のあちこちにサテライト会場ができ、今では街ぐるみのイベントである。「サンディエゴ・コミコン」のメイン会場である「サンディエゴ・コンベンション・センター」の年次報告書(2)によると「サンディエゴ・コミコン」がサンディエゴに与える経済的影響は1億8000万ドル、1ドル100円で計算すると日本円にして180億円ほどにも及ぶ。

「サンディエゴ・コミコン」運営の中心メンバーは何度か入れ代わり、設立メンバーの中には亡くなった人もいるが、「サンディエゴ・コミコン」は当初からずっと非営利のイベントとして運営されてきた。1975年に非営利団体「コミコン・インターナショナル(Comic-Con International)」を正式に立ち上げ、以来その団体が今日まで「サンディエゴ・コミコン」の運営を担当。現在は13人の幹事を中心として16~20人の常勤スタッフと80人に近い数のボランティアがコンベンション運営を支えている。

「コミコン・インターナショナル」の収入源は主に「サンディエゴ・コミコン」とその関連イベントのチケット販売、そしてメイン会場のブース使用料であり、時にはその“非営利”としての在り方に疑問が投げかけられることもある。近年「サンディエゴ・インターナショナル」の年間収入は1千万ドル(1ドル100円とすると日本円で約10億円。例えば、2011年は11,974,200ドル)を超え、同団体のディレクターへの報酬は9万ドルとも言われている(3)。

中編に続くhttp://www.animeanime.biz/archives/18684

(1) このコラムにおける「アングレーム国際漫画祭」の成り立ちについては、マンガ研究者で翻訳者の野田謙介氏と原正人氏の調査に負っている。
野田謙介「マンガとイメージの国際都市調査報告」『平成23年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業報告書』(平成24年3月)
(原正人「アングレーム国際漫画祭特集」他 BDfile http://books.shopro.co.jp/bdfile/2012/02/02.html 参照
(2) http://www.visitsandiego.com/resources/annualreport-fy12final.pdf
(3) http://lamesa.patch.com/groups/politics-and-elections/p/comic-conwith-net-assets-of-7-millionpays-city-no-bus68a5dfd212