北米で日本マンガ出版に力を尽くしたカナダ人:トーレン・スミス氏追悼コラム 第1回

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情 第18回-1
「北米で日本マンガ出版に力を尽くしたカナダ人:トーレン・スミス氏追悼コラム」

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

『A Viewer's Guide to Japanese Animation』
『A Viewer’s Guide to Japanese Animation』

80年代から北米での日本マンガ(1)出版に携わってきたトーレン・スミス氏が今年の3月に亡くなった。ネット上では日本から、そして世界から多くの追悼の言葉が寄せられ、52歳という若過ぎる死を悼んだ。
筆者もその訃報にショックを受けたひとりである。そこで今回のコラムでは、80年代から90年代に渡って日本マンガの北米での出版とその普及に多大な貢献を果たしたトーレン・スミス氏とその業績を紹介したいと思う。

ただしスミス氏に関して、書評家で翻訳家でSF評論家でもある大森望氏が「【マンガ】を英単語にした男」(『別冊宝島117変なニッポン』1990年8月)と「トーレン・スミスのMANGA人生」(『SFマガジン』2013年6月号)で既に記事にされている。
大森望氏とスミス氏は、SFファン同志として知り合った友人である。その上スミス氏が大森氏の奥様の妹と結婚したり、スミス氏の会社「スタジオ・プロテウス」で大森氏がスタッフとして参加したりと、色々な点で近しい関係にあった。

そこで、スミス氏の経歴や業績の詳細については、個人的にも氏をよく知る大森氏の記事にお任せするとして、このコラムでは簡単な紹介の後、北米の日本マンガ市場形成におけるスミス氏の果たした役割の意味について、筆者なりの考えをまとめてみたい。

最近、海外市場での出版を視野に入れた日本マンガの「右開き」「左開き」がネット上で話題になったことがあったが、7~8年前にアメリカのマンガファンそして一部の業界人の間で、別の意味で「右開き」「左開き」が大きな議論の対象となったことがあった。スミス氏はその時活発に発言していたひとりであり、本記事の後半ではその議論についても触れることにする。

■ SFファン=アニメファン=マンガファン

トーレン・スミス氏は1960年、カナダのアルバータ州に生まれた。幼い頃から、勉強のみならず絵を描くことやスポーツまで、様々な分野で才能を発揮していたようだ。10代になってSFとアメリカのコミックスに興味を持ちコンベンションに参加し始め、高校を卒業すると様々な職業を転々としながら、複数の出版社でコミックスの原作を手がけるようになった。

80年代初頭にアメリカに渡った後、友人に勧められて日本アニメを見て感動し、SFコンベンションでアニメの上映ルームを運営したり、日本アニメ初のアメリカでの単独上映会を開催するなど、活発にファン活動を展開。
特にスミス氏がほぼひとりで作成し、1986年の上映会で配布した日本アニメガイド本『A Viewer’s Guide to Japanese Animation』は評判を呼び、情報に飢えていたファンの必携本となって一躍スミス氏の名を英語圏のアニメファンに知らしめた。その後スミス氏はアニメを入口にマンガにも興味を持つようになる。

SF作家のジェイムズ・P・ホーガン氏とSFコミックスを合作したことで友人となったスミス氏は、ホーガン氏が1986年8月に大阪で開かれたSF大会「DAICON5」にゲストとして招待された時、同行して初来日を果たす。
この時の来日で、SFだけでなくアニメ、マンガ業界で人脈を築き、後の仕事に繋げていくのだが、例えばガイナックスの設立メンバーと知己を得て『トップをねらえ!』のスミス・トーレンとして名前が使われ、ひと声だけ出演していることは、日本でもアニメファンの間でよく知られているかもしれない。

この来日時にスミス氏は、後に小学館の出資を受けて設立されるVIZ Communications (現VIZ Media)とその提携先であるアメリカの新興コミックス出版社Eclipse Comicsを念頭に、北米で出版できる日本マンガの作品選びを考えていたと言われるが、VIZとスミス氏の関係は両者にとってあまり居心地の良いものではなかったらしい。

実質的に北米で日本マンガの商業出版が始まった1987年(2)にVIZが出した最初の一連の作品『カムイ外伝』(白土三平)『エリア88』(新谷かおる)『舞』(工藤かずや・池上遼一)の選定には関わったものの、スミス氏は独自に日本マンガを紹介する道を選んだ。1988年に日本マンガ専門の翻訳会社「スタジオ・プロテウス」を立ち上げる。
スミス氏の来日と会社設立の頃の事情については参照する記事によって若干異なるが、少なくとも来日して業界にたくさんの知り合いを得たことで北米でのマンガビジネスへの熱意が高まり、会社を興す決心をしたのは間違いないようだ。

ここで、スミス氏が設立した「スタジオ・プロテウス」(以下「プロテウス」)について簡単に説明しておこう。上で「日本マンガ専門の翻訳会社」と書いたが、正確には日本の出版社と英語版出版の契約を結び、英訳の入ったページを現地の出版社に届けるまでを行うローカライザー(または、packager)である。その仕事内容は主に以下のとおり。

(1) 北米出版社の了承を得て、英訳する作品を選定
(2) ライセンサーである日本の出版社と交渉し、北米での出版権を獲得
(3) セリフを英訳し、英語のセリフを吹き出しに入れる
(4) 必要に応じて英語版のオノマトペ等を作ってページに入れる

「プロテウス」から完成ページを渡された出版社は、本の形にして出版する他、作品の宣伝、流通の確保、売上の分配を行う。

スミス氏はVIZから出た『カムイ外伝』『風の谷のナウシカ』の翻訳はしたが、「プロテウス」としては他の出版社、主にDark Horse ComicsやEclipse Comicsなどに作品を提供した。特にEclipse Comicsはスミス氏がコミックス原作を書いていた出版社であり、Eclipseに小学館とVIZとの事業提携を促したのもスミス氏だと言われている。
創業したばかりの「プロテウス」は1988年にそのEclipseから『アップルシード』を、そして長い付き合いとなるDark Horseから『アウトランダーズ』を出したのを皮切りに、次々と日本マンガのローカライズを行っていった。 ( 3)
「プロテウス」がローカライズに関わったページ数は、マンガ事業から撤退する2004年までの15年間で7万ページ以上にも及ぶと言う。これは200ページの単行本に換算すると350冊となる。  (4)

以下は「スタジオ・プロテウス」がローカライズに何らかの形で関わった作品の一部。
1988年
『アップルシード』士郎正宗
『アウトランダーズ』眞鍋譲治
『ダーティー・ペア』(高千穂遥『ダーティー・ペア』をもとにした「プロテウス」オリジナルのマンガ作品)
1991年
『3X3 EYES』高田裕三
1994年
『あぁっ女神さまっ』
1995年
『ガンスミスキャッツ』園田健一
『攻殻機動隊』士郎正宗
『童夢』大友克洋
1996年
『無限の住人』沙村広明
2000年
『子連れ狼』小池一夫・小島剛夕(Dark Horse 版)
他多数

(1)今回のコラムでは、日本のマンガを「マンガ」、アメリカのマンガを「コミックス」と記す。ただし、アメリカの「コミックス」と言う際に、新聞などに掲載されるコミックストリップ等は含まないこととする。
(2)1987年に以前に日本マンガが北米で出版されたことがまったくなかったわけではない。しかし、自費出版やSF雑誌等に単独で掲載された作品などを除き、ある程度の規模で商業的に「日本のマンガ」として流通することを意図した出版と考えると、1987年を本格的な出版開始年と呼んでも問題無いだろう。
(3)士郎正宗作品は北米で売れると確信してその出版権を獲得したのはスミス氏だが、氏が士郎正宗氏の存在を知ったのは1986年に参加したDAICONで『アップルシード』が星雲賞コミック部門を受賞したからだと言う。
(4)2004 – A good year to get out of the manga business” Michael Dean, April 2004, Comics Journal #259