北米のマンガ事情 第17回 「北米のマンガ読者とスキャンレーション」-1- by 椎名ゆかり

文化輸出品としてのマンガ-北米のマンガ事情
第17回
「北米のマンガ読者とスキャンレーション」 PART1

椎名 ゆかり
アメリカの大学院でポピュラー・カルチャーを学び帰国後、マンガを専門とする出版エージェント業やアニメ、マンガ関連の翻訳者他、海外マンガを紹介する様々な仕事を行ってきた。現在は文化庁のメディア芸術を推進する部署で研究補佐員として勤務中。
翻訳マンガ:『ファン・ホーム』『メガトーキョー』他
ブログ:「英語で!アニメ・マンガ」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/

 

デボラ・アオキ氏。北米を代表するマンガ専門のライターとして知られる。作品に加えて、業界事情にも明るい。
デボラ・アオキ氏。北米を代表するマンガ専門のライターとして知られる。作品に加えて、業界事情にも明るい。

今回のコラムでは、インタビュー記事を掲載させていただくことになった。インタビューのお相手はアメリカでマンガ専門のライターとして活躍するディブ・アオキ氏とカナダの有名コミックス専門店のオーナーであるクリストファー・ブッチャー氏。
アオキ氏は生活情報サイトAbout.comのマンガコーナーを担当し、北米のマンガシーンに詳しいファンの信頼も厚いライターで、ブッチャー氏はコミックス専門店のオーナーであると同時に、様々なマンガを扱うフェスティバル「TCAF (Toronto Comics Arts Festival)」を主催するなど、日本、北米、ヨーロッパのコミックスのどれもに造詣が深い人物である。

 

■北米のマンガ読者

北米における日本の商業マンガ出版の歴史は、小学館(後に、集英社、小学館集英社プロダクションが加わる)の現地法人VIZ Communicationsが出版を始めた1987年を仮に元年とすると、既に25年以上が経っている。
例えば98年に出版が開始された『ドラゴンボール』でマンガを読み始めた10歳の子供が、そのまま順調にマンガを読み続けていたとすると、今では25歳になり青年マンガを読む世代だ。そして『ドラゴンボール』の後も、2000年代に入って『NARUTO』『ワンピース』などの人気作品が登場し、新しい読者も増えている。

25年の歴史があり断続的にではあってもヒット作が生まれていることを考えると、新旧の読者がいて年齢層の幅も広がり、北米の日本マンガ市場もそれなりに成長しているはず。そう思ってしまっても不思議ではない。
しかし、実際にはこのコラムでもしばしば取り上げるように、北米のマンガ市場は依然として日本の市場とは比べものにならないほど小さく、マンガ読者の年齢層の幅も期待するまでには広がっていない。

まずは歴史を振り返り、時代を遡ってファンの変遷について語っていただくところからインタビューは始まった。

椎名 : 
北米での日本マンガの歴史についてごく大雑把に振り返ってみたいと思います。先日、80年代、90年代に日本マンガの現地化に多大な貢献したトーレン・スミス氏が亡くなりました。そのスミス氏が北米で紹介した作品の多くは青年向けの作品で、しかもSFが多かったですね。

クリス・ブッチャー氏 : 
そうです。スミス氏は日本のマンガが好きでしたが、少女や女性向けの作品にはほとんど興味がないようでした。
その頃、日本とアメリカのSFファンドムは双方で盛り上がっていて、交流も盛んに行われていたと聞いていますし、日米のSFに対する好みも(まったく同じとは言えませんが)かなり近かった気がします。そこでまずSFや時代ものなど、限られたジャンルの作品に人気が出ました。

そう言えば『うる星やつら』はコメディで、当時コメディは珍しかったですね。普通ギャグの翻訳は難しい場合が多く、なかなか面白さを伝えられませんが、『うる星やつら』は人気がありました。

椎名 : 
人気作品と言うと、大友克洋の『AKIRA』のアメリカでのマンガ出版とアニメ公開が1989年、そして士郎正宗の『攻殻機動隊』マンガ出版と押井守による映画公開が1995年でした。80年代後半から90年代前半は確かに男性ファンが多かったようです。

ブッチャー氏 : 
2000年に入る直前、もしくは入ってすぐぐらいの頃までは読者にはSFやアクションを好む男子大学生が多かったと思います。
特に大学生が多かった理由はインターネットです。ファンは作品を手に入れるために知り合いに頼んでコピーをもらったり、アニメだったらVHSのダビングをし合ったりしていました。インターネットが使えるようになって、ファンはインターネットを活用し始めましたが、2000年前後頃のインターネットはまだダウンロードにお金も時間もかかっていました。でも大学ではインターネットが値段も時間も気にせず使い放題だったのです。そこで大学生がアニメやマンガのファン活動の中心となりました。

少し話が脱線しますが、アメリカのマンガのほうが日本のマンガよりネット上に出回っているスキャンレーション(著作権者に許可なくスキャンされてネット上で公開されているマンガ)が少ないのは、この頃の影響も大きいと言う人がいます。
初期のインターネットでは、カラーページのアメリカのマンガよりも白黒だけの日本のマンガのほうがダウンロードにかかる時間が極端に少なくてすみました。そこで海賊版が広がるのに、アメリカのマンガと日本のマンガでタイムラグがあったのです。
つまり、白黒でアップロードやダウンロードにストレスの少なかった日本のマンガは、インターネットの初期の頃からネット上にスキャンレーションが出てしまい、ファンがスキャンレーションに慣れてしまう要因にもなりました。

椎名 :
90年代には人気タイトル『ドラゴンボール』と『美少女戦士セーラームーン』のアニメの放送が北米で始まります。(ただし『セーラームーン』の人気は1998年にケーブルTVのチャンネル「カトゥーンネットワーク」で放送が始まってから本格化。)マンガの出版は『ドラゴンボール』が1998年、『セーラームーン』が1997年でした。

ディブ・アオキ氏 :
特に『セーラームーン』は少女がマンガを読むきっかけになった作品という点で、とても重要です。アニメの『セーラームーン』で作品のファンになり、マンガの『セーラームーン』を読み始め、気に入って更に他の少女マンガに手を伸ばすという具合に、少女のマンガ読者がこの作品によって数多く生まれました。

90年年代後半からマンガを読み始めた世代以降には、自分も日本のマンガのスタイルでマンガを描きたいと思う読者が男女合わせてたくさんいました。
TOKYOPOP社が行っていたマンガの新人賞「Rising Stars of Manga」から生まれたマンガ家たちは、90年代後半頃に10代でアニメやマンガを見て育った人が多いのではないでしょうか。

残念ながら、TOKYOPOPもオリジナル作品を出すのを止めてしまい、新しい作家の発表の場は今はほぼウエブのみです。個人的な感想としては、やはり編集者が入って紙の出版が行われるのと、ウエブで個人として出すのでは作家の力の伸びが違うように思います。
TOKYOPOPでオリジナル作品を出した作家たちは当時その力量に対して疑問が投げかけられることが多かったものの、今から思えば出版することで実力を身につけていったと思います。

椎名 : 
そして2002年にTOKYOPOPが仕掛けたマンガのキャンペーンによって、北米でマンガブームが盛り上がります。更に、2005年に『NARUTO』のTV放送が始まったことで、2003年から出版されていた『NARUTO』マンガ人気に火がつきました。

アオキ氏 :  
ブーム以降に入ってきた読者は、90年代後半から2000年初頭に『ドラゴンボール』や『セーラームーン』でマンガ読者になったそれまでの読者とも違います。特に少女マンガの読者が急激に増えました。
先にクリスが言ったようにアメリカのマンガの読者は従来ずっと男性で、少女や女性向けの作品はかなり少数でした。でもブーム以降の新しいファンは、女性向けの作品がほとんどなかった頃のことをまったく知らず、少女向けの作品の無いマンガなど、想像できないらしいです。

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■ マンガを卒業する読者