「レイアウトを戻す」を押すとサイトのレイアウトが初期状態に戻ります。閉じたり、表示を伸ばしたりしていたカテゴリーやウェジェットが初期状態に戻ります。

レイアウトを戻す

特殊映像ラボラトリー第33回 「監督=プロデューサー アニメ会社は 流通革新を起こすか?」

斉藤 守彦の特殊映像ラボラトリー第33回
監督=プロデューサー主導のアニメ会社は、アニメ映画の流通を革新するか?

斉藤 守彦
[筆者の紹介]

1961年生れ。静岡県浜松市出身。
映画業界紙記者、編集長の経験の後、映画ジャーナリスト、アナリストとして独立。「INVITATION」誌で「映画経済スタジアム」を連載するほか、多数のメディアで執筆。データを基にした映画業界分析に定評がある。「宇宙船」「スターログ日本版」等の雑誌に寄稿するなど、特撮映画は特に得意な分野としている。

 

■ 監督=プロデューサー主導の新会社が設立される背景
 
 ここ数年、アニメの、アニメ映画の製作に関して新しい動きが出てきている。特定の監督とプロデューサーが手を組み、会社を設立。その会社(スタジオ)から新作を発表する。それも単にアニメ映画を制作するのではなく、資金集めから制作実作業、配給(宣伝を含む)、興行のハンドリングやパッケージ・メディアのセールスに関してまで、監督やプロデューサーの意向に従ってビジネス展開を行う。
 今年設立5年目を迎えた庵野秀明監督のカラーは、2本の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を興行的に成功させ、また「攻殻機動隊S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D」の石井朋彦プロデューサーと神山健治監督は、博報堂と共に新会社STEVE N’ STEVENを設立した。ただしこの会社は、純粋にアニメ制作を行うスタジオではなく、企業とのタイアップ戦略を主軸にした企業ゆえ、従来の制作会社の概念は当てはまらないようだ。もう1社というか一組、某監督と某プロデューサーが、先頃共同で制作会社を立ち上げたのだが、当事者から「まだ社名その他を公表してくれるな」とのことなので匿名とする。

■ 並立すべき「作家主義」と、「プロデューサー主導」

 こうした新会社の設立は、アニメ業界ひいては映像業界に新しい価値観をもたらし、大いに歓迎する反面、その成立プロセスから考えて、多少の危険性を感じずにはいられない。その危険性とは、作家主義への過剰な傾倒である。
 言うまでもなく、アニメの場合実写映画と違い、作品内容に最も反映されるのは、まず監督のイマジネーションである。自ずと監督の権限は増し、作品そのものも監督のパーソナリティが反映されたものと見なされ、監督は「作家」と認識されるようになる。その「作家」たる監督とプロデューサーが手を組むということは、作品内容には監督のパーソナリティが、作品を世に出し、ビジネスを行うその手法にはプロデューサーの意向が反映される。
 日頃「アニメ映画は、現在の日本映画界において、作家主義が通用する唯一の分野」と公言する筆者だが、それは監督=作家のパーソナリティが作品に反映されることの素晴らしさを讃えると同時に、「作家主義」なるものの危険性を示唆しているつもりだ。映画とは多額の資金を調達した上で作られる「商品」である。ひとりの「作家」の思いだけに委ねるのは、あまりにも経済的リスクが大きすぎる。
 宮崎駿や庵野秀明のように、その演出スタイルやキャラクターまでが、観客に認識され、そのことが商業的な実績として立証されている場合は、逆に「作家主義」がメリットとなるが、そうした監督たちはひと握りに過ぎない。「作家主義」を貫くことが出来る環境は素晴らしいが、監督の思いだけで作られた映画が、すべての観客に受け入れられるとは限らないのだ。

 スタジオジブリのように、宮崎駿監督作品は監督の主体性と構想を中心に据えて作品を作り、一方「借りぐらしのアリエッティ」の監督にジブリ生え抜きのアニメーター・米林宏昌を抜擢するという、「作家主義」と「プロデューサー主導」の両方を推進することが出来るのは、優れた「作家」=監督とプロデューサーが共存しているからだ。「作家主義」と「プロデューサー主導」の企画・制作体制を両立させることは、監督とプロデューサーとが信頼関係で結ばれていれば、決して不可能ではないはずだ。

■ 配給会社が流通のイニシアティヴをとることの問題点

 さてこうした“監督=プロデューサー中心のアニメ会社”の設立について、筆者が信頼する4人の映像関係者に、メールで見解を聞いてみた。いずれもアニメ映画の製作、制作、配給、興行、二次使用などの業務に携わった経験を持つ人物ばかりだ。
 その結果「この流れは、やがてはアニメ映画の流通を変えることになるだろう」と答えたのが3人、あとのひとりは「まだ分からない」との回答だった。その上で、筆者自身の知識の再点検を兼ねて、アニメ業界のベテランに話を聞いてみた。そこでの詳細をすべて文字にはしないが、筆者が重点的に取材している映画流通、特にアニメ映画の流通についての問題点と改善すべき点が、はっきりと見えてきた。

 アニメ映画のみならず実写映画の場合もそうだが、制作現場では監督が中心になって作品作りを進める。ところが作品が完成し、世に出すというレベルになると、流通のイニシアティヴは配給会社が握ることとなる。役割分担という面からそれは当然のこととされているが、その「当然」が気にかかる。
 大きなマーケットに出そうとすればするほど配給会社の意向が強くなり、作品の個性なり訴求すべき顧客たちについて知り尽くしているはずの製作サイドの意向より優先されるのは、どう考えてもおかしい。「そんなことはない。製作委員会での決定に従って、配給会社は万全の努力をしている」との反論が聞こえてきそうだが、ならば筆者の周囲で聞こえる、この配給会社へのブーイングの正体は何なのだろうか?

2ページ 配給会社が果たすべき機能とは、

関連記事

.